繁藤駅

繁藤駅
開業 1929年6月21日
所在地 香美郡土佐山田町繁藤飼古屋

1番線の端より高知方同じく多度津方 繁藤駅は昭和五年に天坪駅として開業した。昭和30年頃まで天坪村という自治体が存在していた。合併により、一度は大豊町の前身に当たる大豊村に属したが、その後土佐山田町に編入され、現在に至る。昭和48年に繁藤駅に改称している。ホームは2面3線で、駅本屋の前が一番線。跨線橋を渡ると島式ホームの2、3番線である。

2、3番線今もどこかに眠っている 繁藤駅から繁藤災害を思い出す人は少なくは無いはずである。1972年7月5日のことである。このあたりは雨坪と比喩されるほどよく雨が降る。当日も一晩で750mm近くの雨量を記録していた。午前11前の大崩落で大きな犠牲者を出しているが、これに上り普通列車が巻き込まれている。DF50+客車3両四両の編成だった。まともに土砂の直撃を受けた機関車は穴内川を飛び越え、対岸まで到達したようだ。二両目の客車は穴内川の流れに没し、三両目も横転して斜面をずり落ちそうになっていた。客車は知らないが、DF50は搬出が困難と判断され、現場でいくつかに分断した上でその場に埋め立てたという話である。ナンバープレートは回収され、多度津工場に展示されている。

ここは土砂に埋もれた 土砂は跨線橋の階段の先をかすめるように穴内川に雪崩れ込んだ。跨線橋を降りた所に二両目が、その前が機関車であるから、DF50はまさに最悪の場所に止まっていたことになる。
 駅前の集落にも目を向けてみる。道路標識の後ろにある緑色の壁の家屋、これがぎりぎり土砂の直撃を免れた建物であり、右側の壁が数十cm埋まっただけだった。間に国道と貨物ホーム跡を挟んだ上でこの被害であるから、いかに崩壊の規模が大きかったかわかる。ここから多度津方に数百メートルいくと車窓に慰霊碑を見ることができる。

・切符…駅前商店で委託販売もしくは車内で購入
・トイレ…1番線にあり
・買物…駅前に商店があり