周志トンネル旧線1



 
 大歩危-土佐岩原間は旧線が二ヶ所ある。基点に近いほうが1968年に切り替えられた大歩危トンネルの旧線で、距離は4キロ以上あり、土讃線の旧線では最大規模である。いっぽう大歩危トンネルよりわずか500mほど離れた場所には周志トンネルと言う800mほどのトンネルがある。大歩危トンネルより12年早い1956年に切り替えられている。今回目指すのはこの周志トンネルのほうである。前から行きたかったのだが、地形図を見ると並行する道路と旧線跡(新旧切り替え地点)の間の70mに等高線が5本以上ある。傾斜角は45度を越えているだろう。そこでボートで川を渡るとか川原を歩くとか列車の少ない時間帯に・・・などとよからぬことまで考えていたのだが、少し前に書店で見た廃線本に見事斜面を下り路盤へ到達したレポートが載っていたのである。この記事に刺激され挑戦することにしたのである。

 
 これだけでここがどこだかわかったあなたはすごい。ここは大豊町道岩原周志線で、周志橋という地図に乗らないような小さな橋を渡って少しした左カーブの途中である。
 ガードレールの切れ目から降りていくとしばらくははっきりとした山道があるがすぐに墓地で行き止まりになる。この墓地は尾根の上にあり、北の斜面を下りるか南の斜面を下りるか迷ったが、北(右手)の斜面が降りやすそうに見えたのでそちらを選んだ。帰宅後読み返したところ南が正解だったようだ。しかし筆者も初めて来たときは北側を降りたそうだ。
 やがて川の音が聞こえてくる。地図に名前は載ってないが有瀬川という川で、県境にもなっている。つまりあちらは徳島県。こちらは高知県。川に削られたせいで傾斜が急になっていたため、川から少し離れたところを下流へ向けて降る。このあたりには木の幹にとげのある植物がたくさん生えており、手掛かりにならないため移動に難儀した。
 有瀬川沿いを下るとやがて何かが見えてきた。
 有瀬川をわたる土讃線である。現在線に出てしまった。
 南風キター
 このトンネルはなんと言うトンネルだろう。地形図を持ってこなかったのは自分でもどうかと思う。
 周志って書いてある?
 運良く周志トンネルの多度津側坑口に降りてきたようだ。1954年12月着工。56年8月完成。
さらに川側に路盤があるはずだ。降下を開始して40分。歩いた距離は100mか200mほどだと思うが、写真が少ないが撮る余裕がないほど大変だったと言うことで。午前中に大志呂トンネル旧線を再訪した後で疲れていたこともあるが。
 ここにきたかった理由の一つに車窓から見える不思議なものの存在がある。池田から普通列車で帰ってきたとき、半分だけ入り口がふさがれたトンネルのようなものを見つけたのである。トンネルだとすれば反対側の出口がその辺の斜面にあるはずなのだが。
 あったー!