 | 三坂隧道。天狗鼻を迂回するために造られたトンネルである。この手前が旧道の入り口であるが、ここを起点に二キロほどの新道を作ったため、トンネルをくぐった先で旧道が合流してくるわけではない。取材当時、既に三坂道路が開通しており、このトンネルも実質旧道落ちしていた(つまりこれから行こうとしている旧道は旧々道に当たる)わけだが、意外と交通量は衰えていない。特にスポーツタイプの車やバイクがひっきりなしに走ってくる。このページでは三坂道路はないものとして、旧道(二代目)を現道として扱う。 |
 | トンネルの手前に大きな観音像が立っている。これは元々旧道の天狗鼻にあったもので、ここに移設されてきたものだ。 |
 | 観音の横に大きな石碑が立っており、この観音像の由来が説明されている。 |
 | これより旧道に入る。坑口の手前、ガードレールの端から尾根先へ続く旧道が伸びている。 |
 | 入った瞬間はそう特にひどい状態とは思わない。年相応のアレ具合だと思う。 |
 | この岩壁は明治時代に削りとったのだろう。昔の土佐街道は浄瑠璃寺の近くを経由しており、この付近の山は手付かずだったはずだからだ。 |
 | 少し進むと、前方が明るくなる。そう、ここが天狗鼻だ。あの先は落ちれば助からないと言われた断崖絶壁だ。天狗の鼻と呼ばれる所以は明らかでないが、尾根先が細く天狗の鼻のように突き出ているからだと思われる。 |
 | それにしても、モーレツだ。笹が生い茂り、全く路面が見えない。道路の危険さとは裏腹に突端からの眺望は素晴らしかったというが、それももう過去の話だ。 |
 | 巨石ゴロリ。もはや道としての役目を果たしていない。地図だと現役っぽく描かれているのだが・・・。 |
 | 天狗鼻通過。猛烈に荒れており、もはやその全貌を把握することは難しい。 |
 | 天狗鼻から先へ。日当たりの関係か、こちら側は幾分道らしさが残っている。 |
 | 更に行くと、少し寂れた林道並みに路面が回復した。 |
 | なるほど、こういうことか。現道に通じる道がつながっている。工事用道路かなんかの跡だろう。 |
 | 正面に見えるのは現道。エンジン音が途切れることがない。この辺りだけなら今でも車が走れそうだ。 |
 | しばらく行くと、廃車が待ち伏せていた。現道の沿道にある中古車屋の持ち物だという話。 |
 | 旧道には2つのつづら折りがあり、一組がこの廃車置場である。アトレークルーズ(ミント色の車)の後ろでヘアピンカーブを描いている。 |
 | ヘアピンとヘアピンの間の道。まだ状態は良い。 |
 | 間もなく2個目のヘアピンカーブに着く。 |
 | 振り返ると天狗鼻から降りてきた旧道が見える。 |
 | ヘアピンを後にし、前に進む。まだまだ路面は良い。 |
 | 3台目の廃車現る。ホンダアクティバン(あるいはストリート)。 |
 | 近くには謎のコンクリート構造物が残っている。ガード柵の残骸だろうか。 |
 | 明治時代の石積みだろうか。 |
 | しばらく行くと、道端に鉄棒が立てかけてあるのが目についた。 |
 | よくよく見ると、道路標識サンではないですか。 |
 | 掘り起こし、泥を払ってみた。大半が錆びているが、わずかに塗料の跡が残っている。多分つづら折りあり(206)だろう。 |
 | 標識の前から麓を見る。勾配が急で左にカーブしている。 |
 | 謎の基礎。道路関係だろうか。 |
 | 沢の水が路面を流れ、ここは荒れている。 |
 | ガードレール。日本に初めてガードレールが設置されたのは昭和33(1958)年だという。旧道落ちするまでの8年間に設置されたのだろうか。樹木に取り込まれているので、完全に錆び落ちるまでなくなることはないだろう。 |
 | なんだこれは。 |
 | 側溝の水を落とすための穴らしい。しかし結構深いぞ。暗い夜道、こんなものが道路脇にあるとなると、怖くて走れんぞ。いや、現役時代は落ちないように何か対策がされていたと信じよう。 |
 | 穴を過ぎると路肩が痩せた所に出た。軽自動車ならなんとか通れそうなくらいの道幅は残っている。案外、天狗鼻の崩落がなければまだ道として使えたりして。もちろん、草刈りと穴ぼこを埋めて。 |
 | 同じ所で懐かしいかもしれない缶を見つけた。UCCウィズキッズグレープと、左は何だ? この場所は現道から近いようで、時折頭上からエンジン音が響いてくる。この缶は旧道化後に頭上の現道から投げ捨てられたものだろう。 |
 | 立派な石垣の上に錆びたガードレールが残る。明治と昭和のコラボだ。ガードレールの支柱は時代を感じる四角い支柱だ。 |
 | やがて、前方に大きな杉の倒木が塞いでいる所に差し掛かった。 |
 | くぐると、目の前に真新しい轍の残る林道が現れた。廃道化区間を抜けだしたようだ。 |