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こちら側は多度津側と違い、岩と土嚢を積み上げて封鎖しているのでよじ登ることができる。 |
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しかし上の端までぎちぎちなので潜り込むことは不可能だ。しかも土嚢の中身はセメントだ。 |
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坑口上部より高知方面を望む。しばらくは明り区間が続く。杉が植林されているので写真に撮ると見通しが利かないが、歩くのは不可能ではない。 |
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特に目立った遺構は無く、しばらく進むと資材置き場に路盤は寸断される。この辺の県道はガードレール代わりに大量の古レールを使っている。ちなみにこの資材置き場を旧土佐穴内駅跡としている資料が多く見受けられるが、それは誤りである。当時の地形図を見ると分かるが、旧土佐穴内駅はここよりさらに400mほど西、ちょうど吉野川と穴内側の合流地点付近にあった。 |
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資材置き場を過ぎると大きな掘り割りがあった。写真で見るより結構深く、列車がすっぽり隠れてしまうのではないだろうか。 |
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路盤の外はすぐ穴内川だ。 |
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降りられる場所があったので路盤へ降りてみた。植林された杉が大きく育って山城谷トンネル旧線と同じような雰囲気がしている。 |
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反対側。この先は桟橋になっていたようだ。 |
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無論橋桁は無く、取り残された橋脚が立ち並んでいる。 |
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中間部分の橋脚は自然災害か人為的にか倒壊し河原に転がっている。 |