土讃線山城谷トンネル旧線久しぶりの土讃線旧線である。例によってF氏との探索である。ここはここは土砂崩れと南海地震のダブルパンチで地盤が不安定になったため路線変更された部分である。1950年11月に新線である山城谷トンネルが開通している。そしてこれが土讃線初のルート変更となった。多度津方面から高知方面へ向かって踏破したいと思う。多度津側の分岐地点である。この辺は国道がトンネルを掘っており、以前とはかなり様子が変わっている。分岐地点は鉄橋の上である。現在の国道と同じように曲線を描いていた鉄橋を途中から直線にしてそのまま山城谷トンネルへ新線は繋がっている。旧線は写真右下、フェンスの辺りを通っていたようである。 旧線時代の橋梁の遺構も一つ残っている。橋脚である。2006年1月の時点で国道の工事が大分進んでおり、まわりには足場が組まれていたため古い写真を使っている。国道に破壊されないか心配である。ひょっとしたら国道の橋脚に再利用されないかと思っている。 ちなみに橋台もあったのだが道路工事により失われてしまった。写真を撮っておけばよかったと後悔した。「廃線遺構はいつまでもあると思うな」である。 高知方面へ少し行って振り返って撮影。位置的にはかつての路盤のあった所と思われるが、宅地にする際かなり地形をいじってあるらしく、当時より高くなっている。 線路が敷かれていたにしてはだいぶ狭い気がする。駐車場に削られてしまったものと思われる。先には切通が見えている。 線路跡には民家が建っている。この先度々民家や畑が現れるのでそのつもりで。ここのすぐ先でも民家に阻まれ、国道に降りることを余儀なくされた。 写真が傾いてしまっているが、同じ場所を振り返って多度津方面を撮っている。この家の奥の家は切通の中に建っている。 民家のすぐ裏手には橋台が残されている。桁は撤去されて無くなって、樹木が生い茂っている。この先、橋は全て撤去されている。 国道を通って迂回し、反対側に来た。多度津方面を撮っている。青いビニールシートがかかっているところは民家である。この先鉄橋は全て無くなっているのでいちいち国道に下りて反対側に回らなくてはならない。非常に面倒くさい。 反対側、高知方面は切通になっている。このこのあたりはまだ歩きやすい。白く塗られた木材が埋まっており、距離標かと期待したが、色あせてしまったのか文字は読み取れず、何なのかは分からなかった。 その先微妙に植生している。このときはこの先に待ち受ける藪の存在など知るはずもなく、このレベルで「うげぇ」と思い始めていた。。 なんかいいゴミ捨て場にされているような気がするが…。その先再び民家が現れた。 |