国政トンネル(阿波川口-小歩危)

'05 2/11

 土讃線は台風が多く、毎年のように、斜面崩壊や道床が洗われるなど、災害が頻発していました。 さらに昭和南海大震災により、ただせさえ不安定な地盤がさらに不安定になり、確か昭和二十五年頃、 少なくとも阿波川口-小歩危がトンネルによる新線へ移行されました。
この区間遺構が結構残っているのですこしだけ見てみました。


一応地図です。手書きで雑ですいません。

赤線が土讃線現行線(トンネル)、緑が旧線、青が国道32号線、赤丸が探索した場所です。

実は時間が無くて慌てていたため、うっかり詳しい場所を忘れてしまいました。なので赤丸はあくまでもこの辺りだろういう目安です。
この道をよく利用する方なら4枚目の写真で場所がわかると思います。



橋脚  国道からも見える橋脚。(脇見運転は事故の元なので控えましょう)。
旧道から撮影。

道  橋台跡の脇を登ると、右方向に抗口まで獣道が続きます。地元の人が椎茸か山菜狩りでもしているのか、又は自分と同じことを考える人がいるのか足跡がついていました。
写真には地元の人のものであろうバケツが写っています。上の写真には如雨露が写っていますね。

小歩危側抗口  塞がれていると思ってた坑口。バリケードはなく中に入れます。落ち葉が積もっていてバラストは見えず、歩くと地面が凹みます。

国道32号
 抗口の前の橋台跡から国道32号を望む。
下の道は旧道。青い橋は国道32号のもの。鮎戸○橋 ←名前失念

内部
 トンネルの中を撮影。
ストロボを焚いても暗いです。

拡大
 ちょっと拡大。
 見えづらいんですが分かります? 内部に盛られた土砂が。
閉塞されているようです。自然崩壊には見えませんでした。タイヤやキャタピラの跡が無かったので反対側からか、人力で塞いだようです。(その前にあの斜面を車では無理)。
 最初はカーブしているのかと思いましたが、やっぱり塞いでいるんですね。

ごみ
 廃坑には必ずと言っていい程ある不法投棄です、いろいろなものが捨てられていました。
手回脱水機の洗濯機が見えます。昭和30年代のものでしょうか。

橋脚
 三枚目の写真の地点から後ろを振り返ったところを撮影。橋脚と、その向こうに橋台が見えます。

橋台
 道に下りて旧道から橋台を撮影。微妙に坑口が写っているんですが、分かりますか?


 この探索では装備を何も持ってなく、懐中電灯一本すらありませんでした。というより元々ここに来るつもりは無く、別の目的で出かけた所が、 道路が雪で通れず急遽ここに来たのでした。おまけに今回訪問したのが人生で初めての廃線探索でした。
再訪しなくては。→本格調査編

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