石原満俺軌道4



 
 穴内川ダムにより、軌道の半分は湖底に沈んでしまった。だが、上流へ行くと基点の部分がわずかだが顔を出す。
第二ステージの始まり始まり。
 

 というわけでワープ。積み込み場は中の川と桑の川が合流するところにある。ちょうど県道268号線沿いにある。ここから奈路を越え、県道33号線を走ると領石まで出られる。また、この付近にはかつて、中の川林用軌道というのがあった。こちらもいずれ調査したい。
 ここからは進行方向が逆、つまり繁藤へ向かって歩くことになる。ちょうど休耕地のような所に、築堤が川へ向かって伸びている。
 川には石積みの立派な橋台が残っており、川の中には橋脚の台座も残っている。これまで見てきたものより幾分立派で、さすが終点近くといったところ。台座にはいくつも穴があいており、木造だったことが伺える。
 
 ここまで書いてナンだが、実はこれは間違い。これは当時の村道。水没前の道筋だろう。どおりで立派なわけである。この付近はロンプの「四国の鉄道廃線ハイキング」でしっかり予習したつもりだったがコロっと騙された。
 本当の築堤は左の小さいほう。
 この写真は間違いに気づき、後で撮り直したもの。そのためいくらか日が落ちて暗い写真になっている。帰らんでヨカタ。
 この辺の記憶はあやふやなため投げやりな点には目をつぶってもらいたい。
 対岸へ移動した。手前が繁藤。基点側の橋台はなくなっているようだ。
 わかりにくいが繁藤側も築堤になっている。山に突き当たると左手に進路を取り、川沿いに下流を目指している。
 しかし路盤の状態は極めて悪い。(実は一段下に路盤のようなものがあったような気もしている)
 だが、浅い掘割が残っており、ここに軌道があったことは紛れもない。
 ちなみに築堤の間違いに気づいたのはこの橋台が現れたからである。何せいずれあの立派な(旧道の)橋台が現れると思い込んでいたものだから
 基点側の橋台はまたしても崩れ落ちていた。
 首が曲がりそうな画像である。自分はまっすぐ立っていたのだが。軌道は少し落ち着きを取り戻し、一応どこが路盤かわかるようになっている。
 おおおっ
 キター
 
既に死語になっているが手っ取り早く表すならこれ。
 
まったくどうやって掘ったのだろう。昭和7年なら今のように重機もないだろうし、人力でコツコツチマチマ掘ったのだろうか。すべてが岩でできている上に半端なく高い。
写真がこの一枚しかないのは日暮れが近いせい。
 大割堀を過ぎた所には謎の円形の石垣があった。廃止後、炭でも焼いていたのだろうか。
 歩いているときはあまりよく考えていなかったが、足を踏み外すとたぶん川へ落ちる。斜面はぼろぼろと崩れており、歩きにくい。この位置から見ると大木につっかえ棒をしているようでなんか笑えた。
 前方に橋が見えてくると、それはそれは軌道の終わりを表す。すなわち、いよいよダム湖が迫っており、この先進みようがないということである。この日の穴内川ダムはなみなみと水を蓄えており、既に川も深くなっているのか深緑色をしている。「鉄道廃線ハイキング」でも橋より下流については触れていない。
 それでも石垣のひとつでもないか探してみた。
 かろうじてある程度まとまった状態の石垣が残っていた。
 橋の袂には釣り人でも頻繁に通るのか、はっきりとした道筋があり、どこよりも楽に車道へ出られた。丸岩橋の袂に出てくる。
 橋の上から上流を見る。軌道は川の左岸に敷かれていた。川は、この先でゆるいUの字を描きながら、ほぼ180度進路を変えている。
 「廃線ハイキング」の本には近くに残る坑口が紹介されていたのでこちらものぞいてきた。
 入り口が開け放されているのが驚きだ。場所は、丸岩橋西詰を北へ向かって走ると案内看板がある。

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