焼坂峠4


   原付には少し厳しいところ。幸い通れる幅はあった。
   ここはコンクリートが使われている。開通後しばらくして改修されたのだろうか? 昭和に入ると国道(当時は県道)は安和海岸経由に変わるのだが、高潮で通行止めになることもあっただろうし、トンネルができるまではこちらも需要があったのだろう。
   本日の最狭部。恐々通過。
   人が全く通らなければ植物に覆われてしまうのだろう。
   焼坂峠は当時須崎まで伸びていた県道を久礼まで延伸する形で着工し、1908年に完成している。当時物だとすれば101年前の石垣である。
   原付には辛い所その2。マフラーをこすりながら段差を超える。
   そのすぐ先で突然道が狭くなってしまった。路肩が崩れたのかなと思ったが、明治の道には考えられない傾斜で斜面を下り始めたので引き返してきた。地図を見ると峠からしばらく行ったところにヘアピンカーブが描かれている。広い所まで戻ってよく見ると確かに180度折り返す道がある。
   そこはこんな具合。倒木が道をふさいでいる。
   15分ほどかけて原付を突破させた。
   しかしすぐにまた崩落があったので乗り捨てた。