伊尾木林道伊尾木線/別役線跡11


 車道転用化後の路盤は広さが二倍ほどになった。
 "お宝"からそれほど離れていない場所。
 A
 法面が傾いてオーバーハングしている。土圧に負けて傾いてきたのだろうか? こういう形―下半分が石積みで上部がコンクリート―は前に見たことがある。四ページほど前に。
 これと同じだ。古い地形図にもトンネル表記があり、これは開削されたトンネルの名残であると考えられる。
 コンクリートからは支保工に使ったと思われるレールが露出している。
 トンネルの跡を過ぎ、しばらく自転車で駒を進めていると、路肩に古い人工的な何かを認めたため、慌てて停車した。
 B
 26.5キロ標だった。車道化されていても、ある所にはあるものである。
 26kpを通過し、500mほど。ここも三日月状の路盤が残る。
 途中には謎のコンクリート構造物。
 そして途中で路盤は崩れ落ちていた。
 C
 そこから目と鼻の先、大きな橋がかかっている。伊御渕橋と書き、いごぶちはしと読む。ちなみに近くには、似たような地名で伊田渕という所がある。
 元からある橋台にコンクリートで継ぎ足して、広い車道橋に対応している。Iビームが並んでいるが、元からある橋台が50センチほど嵩上げされているので、元は違う桁が架かっていたと思われる。
 大きいため、地形の制約から一枚の絵に全景を収めることができない。メインとなる桁には、これまで見てきたものと同じような、高さのある鈑桁が用いられている。
 手前の桁が当時ものの転用だった。
 その証拠に、ここにも西田鉄工の銘板が残っている。
 D
 伊御渕橋を渡ると間もなく中ノ内の集落に入る。軌道はそのまま市道になっている。今でも何人かの住人が住んでいる。2001年まで、入河内以来でこの辺りでは唯一の小中学校があったが、現在では休校になっている。これから生徒が入るとも思えないので、事実上の廃校だろう。
 それ以前には、写真の場所に郵便局があったようだが、現在はこの先の古井に簡易郵便局があるのみである。
 一応バス停もある。安芸市が運行しているコミュニティバスだ。
 中ノ内を過ぎるとすぐ別の集落に入る。明夜という。この2つは比較的近い所にある。
 軌道は少し、集落の内側へ入り込んでいるようだ。
 E
 集落の中を小さな沢が流れており、車道と並行してコンクリート橋が残っている。今でも人道として活躍しているようだ。
 集落内の軌道跡。この明夜にも僅かながら住人が残っている。
 F
 更に進んで伊田渕という所。
 遠くに古い集合住宅のようなものが見えたため、営林署の官舎かと思って見に行ったが、はっきりとしたことはわからなかった。
 G
伊田渕を過ぎてすぐ、大きな橋がある。突然だが、ここが終点のようである。と言っても、本線の終点がここだという話で、支線がまだまだ奥地へと続いていた。手元の資料によれば、伊尾木林道の延長は29.2kmと記されており。26.5kpからおおよそ2.7km走ったのがここだ。この先からは別役線となる。また、この橋の架かる支流沿いにも、かつて横荒線という支線が伸びていた。ここで路線を分ければキリが良いと、当時の人達は思ったのだろう。

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