鴨部の電車道

鴨部の電車道

   国道33号線は高知県高知市から愛媛県松山市へ至る一般国道である。起点の高知県庁前交差点を出て最初にある旧道が高知市鴨部地区にある古い電車通である。鏡川を渡ると国道はすぐに西へ折れるが、旧道が交差点を直進する形で繋がっている。(画像左奥)
   旧道は現在では県道274号線に指定されている。旧道もまた、交差点を過ぎてすぐ急な曲線を描いて西方向に転進している。それと同時にセンターラインのない旧規格の幅に狭められる。土電の軌道も旧道を走っている。
   起点(高知市)方面。
   カーブを曲がると、さすがは旧国道といった次第で、狭いながらも一直線の道が彼方へ続いている。フツーに道路にすれば、なんとか片側一車線を確保できそうだが、道路の幅半分を土電が占領してしまっている。いや、土電の線路の方がはるか昔に敷かれたのだから、狭い思いをしているのは電車の方だ。おかげさまでこの区間は軌道敷内通行可能となっている。旭地区のそれと違い、軽自動車は除かない。こういった混沌具合がウケて、この道は道路フェチには有名な名所となってる。
   直線に入って程なく左前方へそれる三叉路がある。コレは昭和二十九年に荒倉隧道が開通する以前まで使われていた、中村街道の古い道との分岐である。要するに56号の旧々道。荒倉隧道が開通し、朝倉駅前を経由するルートに変わったのが昭和二十九年八月のことで、56号線の前身の旧197号線が制定されたのが二十八年五月の事だから、国道だった期間は一年三ヶ月ほどだったことになる。しかし旧街道らしく、狭いながらも一直線の道が伸びている。
   分岐のそばには電車停留所がある。というか、この沿道に五ヶ所の電停と交換所が一カ所ある。もともと狭い所にグリーンベルトを書き込んでいるため、安全地帯はどうしても車に踏まれる運命にある。ただ、古い鉄道写真を見ると、この狭い道路に無理矢理センターラインを書き込んで、エセ二車線にしていた時代があるようだ。
   バス路線も通っているため、近い所にバス停がある。軌道上で客扱いをするバス・・・・。決してDMVではない。
   そのすぐ先には電車の交換所があり、広くなっている。交換するのは電車だけではなく車もである。ここは行き違うだけで停留所ではない。
   軌道敷は事実上の上り車線になっている。お構いなしに車が通るため、JRに譲ってもらった長持ちするレールを数年で傷ませたとかいう伝説がある。(未確認)
   曙町付近で若干道幅が広がり、軌道が道路の中央を走るようになっている。しかし、大抵の車は道幅が狭くなるのを知っていてか、絶えず軌道の上を走っている。
   高知大の角。昔この付近は朝倉村に属しており、朝倉村道路元標がこの角に設置されていた。
   同じ交差点から高知方面。
   同じく松山方面。
   朝倉電停。交換設備があるが、勿論道路上なのでその時は道路の2/3が塞がれる。ちなみに折り返し列車があり、その電車は入れ替えをせずにそのまま反対側のドアを開けて客扱いを始める。上り線の線路上にグリーンベルトが描かれているのはそういう理由からである。
   すぐ南側に建つくたびれた建物は電車の待合室である。昭和の名残みたいな景色だ。
   高知大正門付近。ここから右カーブになり、朝倉駅方面へ向かってゆく。
   バスキター。DMVではない。いっそ、ネタで本物のDMVを走らせるのもいいかもしれない。
   朝倉駅前交差点。ここで33号線と合流していた。西バイパスの一部区間が開通したことで、平行する区間は県道に降格しているが、ここではあくまで33号として扱う。旧56号線との分岐にもなっており、交通の要所だった。
   反対側から。ややこしい変則交差点になっているが、旧道の方が無理の無い自然な線形になっているのがわかる。
   駅前広場より。手前が33号線。左奥が旧道。正面が旧56号線。
   そこから松山方面は、平穏な二車線道路となっている。
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