伊野町神谷村役場跡古地図を見ると、神谷小学校の北側に役場の印が描かれている。しかし現地へ行っても、跡地は判然としなかった。直接役場跡を示すものが残っていないからだ。学校の北側の住宅がそうなのかもしれないし、学校の敷地内なのかもしれない。体育館の横に古びた石碑が立っており、その可能性は大いに考えられる。どっちみち、現役の小学校のすぐ横でしかも周囲が宅地とくれば、直接カメラを向ける気になれなかった。下の写真は学校裏手の斜面から撮影したものである。 一方地元の男性は伊野町農協神谷支所が役場跡であると語った。役場跡を公共施設に転用するのは一般的に行われており、特に昭和期の大合併後、跡地に農協が建てられたケースが多いらしい。また、大昔はそこからさらに山手に入った所に役場があったということも教えてくださった。農協の裏手に古びた鉄塔が残っており、それが残る場所も農協の倉庫になっており、実にしっくり来る。しかし、それだと学校の北側に役場の記号を描いた古地図は"何なんだ?"となる。古地図にありがちな誤差か、何らかの事情でその当時そこに一時的に庁舎を置いていたのだろうか。 もどる |