三坂峠旧道前編


↑試験的に地理院地図の埋め込み機能を使ってみました↑

 国道33号線最後にして最凶の廃道が三坂峠に残る初代車道だ(廃道としては最後という意味であり、廃道化していないただの旧道は松山市内に至るまで点々としている)。三坂峠は古くから久万と松山平野(道後平野)を隔てる難所として知られてきた。比較的勾配の緩やかな高知側に対し、松山側は標高差が600m以上もあり、通り抜けは一日作業であった。明治時代に33号線の原型である四国新道が切り開かれ、三坂峠にも車道の時代が訪れるが、難所であることに変わりはなかった。特に地形の急峻な松山側においては、急勾配と急曲線の断崖絶壁上の道が10キロ以上も続く、大変な隘路であった。なかでも天狗鼻と呼ばれる場所は、鋭角状のカーブの前後に急勾配を有しており、大型車は立ち上がって目一杯ブレーキを踏まないと減速できなかった。減速に間に合わないと転落、それはすなわち死を意味していた(その辺のことはこのページが詳しい)。そこで、1962年から66年にかけて大々的に改修工事が行われた。地形の険しい松山側においてその変化が顕著であり、二ヶ所ある旧道はどちらも松山側において発生している。一つは前述の天狗鼻を迂回する三坂隧道の旧道。もう一つはそれより麓にある塩ヶ森隧道の旧道である。三坂隧道は50m強ほどの長さしかないが、それに続く道も同時に作りなおされたため、約二キロほどの旧道が発生している。塩ヶ森隧道についても、4キロほどの道が新しく造られ、国道はループ形状になった。塩ヶ森隧道の旧道については、現在でも通行が可能であるが、三坂隧道の旧道は廃道化して久しいという。今回はこの二つをまとめて攻略しようという作戦だ。

 三坂隧道。天狗鼻を迂回するために造られたトンネルである。この手前が旧道の入り口であるが、ここを起点に二キロほどの新道を作ったため、トンネルをくぐった先で旧道が合流してくるわけではない。取材当時、既に三坂道路が開通しており、このトンネルも実質旧道落ちしていた(つまりこれから行こうとしている旧道は旧々道に当たる)わけだが、意外と交通量は衰えていない。特にスポーツタイプの車やバイクがひっきりなしに走ってくる。このページでは三坂道路はないものとして、旧道(二代目)を現道として扱う。
 トンネルの手前に大きな観音像が立っている。これは元々旧道の天狗鼻にあったもので、ここに移設されてきたものだ。
 観音の横に大きな石碑が立っており、この観音像の由来が説明されている。
 これより旧道に入る。坑口の手前、ガードレールの端から尾根先へ続く旧道が伸びている。
 入った瞬間はそう特にひどい状態とは思わない。年相応のアレ具合だと思う。
 この岩壁は明治時代に削りとったのだろう。昔の土佐街道は浄瑠璃寺の近くを経由しており、この付近の山は手付かずだったはずだからだ。
 少し進むと、前方が明るくなる。そう、ここが天狗鼻だ。あの先は落ちれば助からないと言われた断崖絶壁だ。天狗の鼻と呼ばれる所以は明らかでないが、尾根先が細く天狗の鼻のように突き出ているからだと思われる。
 それにしても、モーレツだ。笹が生い茂り、全く路面が見えない。道路の危険さとは裏腹に突端からの眺望は素晴らしかったというが、それももう過去の話だ。
 巨石ゴロリ。もはや道としての役目を果たしていない。地図だと現役っぽく描かれているのだが・・・。
 天狗鼻通過。猛烈に荒れており、もはやその全貌を把握することは難しい。
 天狗鼻から先へ。日当たりの関係か、こちら側は幾分道らしさが残っている。
 更に行くと、少し寂れた林道並みに路面が回復した。
 なるほど、こういうことか。現道に通じる道がつながっている。工事用道路かなんかの跡だろう。
 正面に見えるのは現道。エンジン音が途切れることがない。この辺りだけなら今でも車が走れそうだ。
 しばらく行くと、廃車が待ち伏せていた。現道の沿道にある中古車屋の持ち物だという話。
 旧道には2つのつづら折りがあり、一組がこの廃車置場である。アトレークルーズ(ミント色の車)の後ろでヘアピンカーブを描いている。
 ヘアピンとヘアピンの間の道。まだ状態は良い。
 間もなく2個目のヘアピンカーブに着く。
 振り返ると天狗鼻から降りてきた旧道が見える。
 ヘアピンを後にし、前に進む。まだまだ路面は良い。
 3台目の廃車現る。ホンダアクティバン(あるいはストリート)。
 近くには謎のコンクリート構造物が残っている。ガード柵の残骸だろうか。
 明治時代の石積みだろうか。
 しばらく行くと、道端に鉄棒が立てかけてあるのが目についた。
 よくよく見ると、道路標識サンではないですか。
 掘り起こし、泥を払ってみた。大半が錆びているが、わずかに塗料の跡が残っている。多分つづら折りあり(206)だろう。
 標識の前から麓を見る。勾配が急で左にカーブしている。
 謎の基礎。道路関係だろうか。
 沢の水が路面を流れ、ここは荒れている。
 ガードレール。日本に初めてガードレールが設置されたのは昭和33(1958)年だという。旧道落ちするまでの8年間に設置されたのだろうか。樹木に取り込まれているので、完全に錆び落ちるまでなくなることはないだろう。
 なんだこれは。
 側溝の水を落とすための穴らしい。しかし結構深いぞ。暗い夜道、こんなものが道路脇にあるとなると、怖くて走れんぞ。いや、現役時代は落ちないように何か対策がされていたと信じよう。
 穴を過ぎると路肩が痩せた所に出た。軽自動車ならなんとか通れそうなくらいの道幅は残っている。案外、天狗鼻の崩落がなければまだ道として使えたりして。もちろん、草刈りと穴ぼこを埋めて。
 同じ所で懐かしいかもしれない缶を見つけた。UCCウィズキッズグレープと、左は何だ? この場所は現道から近いようで、時折頭上からエンジン音が響いてくる。この缶は旧道化後に頭上の現道から投げ捨てられたものだろう。
 立派な石垣の上に錆びたガードレールが残る。明治と昭和のコラボだ。ガードレールの支柱は時代を感じる四角い支柱だ。
 やがて、前方に大きな杉の倒木が塞いでいる所に差し掛かった。
 くぐると、目の前に真新しい轍の残る林道が現れた。廃道化区間を抜けだしたようだ。

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