三坂峠旧道後編


↑試験的にgoogleマップの埋め込み機能を使ってみました(塩ヶ森隧道周辺)↑

 


 轍を残した犯人がすぐに分かった。すぐ先に携帯電話の基地局があって、技術者がここまで車で乗り入れてきたようだ。轍はダブルタイヤのもので、2tトラックかなんかだろう。
 基地局を振り返る。
 基地局から先は林道並みに整備されている。
 そして現道の大ヘアピンの所に降りてくる。
 かつて三坂峠には4つのヘアピンカーブがあったが、戦後の改良工事で大ヘアピンと呼ばれるこのヘアピンカーブひとつだけとなった。探索当時は実質的に旧道落ちしていた三坂峠だが、スポーツタイプの車やオートバイが引っ切り無しに走っていた。
 それから間もなく、現道と交差する。
 反対側から、旧道への交通を確保するため、路盤が大幅に掘り下げられている事がわかる。
 旧道にあった3個目のヘアピンはこの付近にあったと思われる。
 不法投棄者に対する脅し文句が書かれた看板、この後ろに旧道は続いていたようだ。
 ここは大ヘアピンの内側に当たる。どうやら意図的に自然に還されているようだ(植樹記念の看板があったような)。
 道界標がたっている。
 部分的に土が入れられているようだが、ところどころ平場のような地形が見受けられる。
 第四ヘアピン跡。黄色で示した斜面は旧道横の法面だった部分だろう。
 松山側より第4ヘアピン跡を見る。
 そして現道と合流。
 旧道の第3第4ヘアピンが健在だった頃の写真が残っている。

高知新聞社刊行「四国をゆく」より引用

 現道の大ヘアピンの中に旧道のヘアピンがあったことがわかる。この写真の撮影場所はここだと思われるが、植生により全く同じ構図で撮影することは不可能であった。
 乗り物を回収するため現道を歩き戻る。近いところでは旧道を見下ろすことができる。
 塩ヶ森隧道の旧道へ移動。トンネルはこれよりずっと先にあるので、ここからは見えない。
 旧道入り口。情報に違わず、舗装されている。
 しかし、道幅は前時代的なものだ。四国新道として建設された当時のままなのかもしれない。
 道中に1ヵ所橋がかかっているのに気づいた。
 親柱には・・・・ん〜文字がない。下の方に埋まっているのかな。
 橋の素性はわからなかったが、古い時代のものには間違いないだろう。
 しばらく下って行くと、沿道に大きな工場や入浴施設が現れる。
 やがて宅地の中に入り・・・
 宮内の歩道橋の交差点にて現道に合流する。
 歩道橋の上より松山市方面を見る。拡幅前の国道は左側(松山方面行き)の部分しかなかった。

前編→ いまここ →砥部町街
目次