明治時代の地図を見ると、妙見山の南東の麓に地図記号が見える。かつての庄屋屋敷か村長または有力者の自宅を使用していたのだろうか。現在は道路沿いに地区の集会所があるが、関連性は不明。すぐ近くに神社の記号も見えるが、周囲は宅地化しており、当時を偲ぶものはない。
昭和初頭の地図を見ると、中村街道沿いに出てきている。どうやら大間駅の御手洗川を挟んだ斜め向かいのようで、ちょうどJA土佐くろしお多ノ郷支所の位置だ。学生時代須崎市内の学校に通っていた筆者にとっては馴染みの深い場所だ。近年建て替えられ、道の駅を思わせるような建物に変わっていた。また、須崎市発足後、この場所には一時期須崎市役所が置かれていた。