住友大阪セメント専用線跡


という訳で(どんな訳だか)多ノ郷へとやって来たわけだが、そこを動き回るダンプとユンボ。開発されて、跡が無い!?
それはないか。まあ頭と勘を使って探していこう。何も無いわけでもあるまい。
道路も微妙に変更されているけど、何とかなるだろう。
頭と勘を使って探していこう。全長800mの小規模物件。



地図。
面倒くさい。今度から手書きをスキャンしよう。
多ノ郷駅からのびる細い赤線が貨物線跡(があったはず)。




斗賀野峠を越えてきた貨物列車は多ノ郷駅の駅舎のすこし手前から南に分岐し、大阪セメントへ向かいます。

分かっていると思うけど、写真に小さく写るのはJR四国の通勤型ディーゼルの1000系ね。


昔は田んぼだった場所には神田児童公園と神田改良住宅というのが建っている。公園の向こう、1000系が止まっている所が多ノ郷駅である。写真を撮るために立っている場所から10メートル以内にかつて線路があったが、素人には平和なただの住宅地にしか見えないんだろうな。さらにこの公園、かつて本線と専用線の間にあったホームらしき跡に建設されたらしい。
なお、地元の書籍をあさっていた所、昔の多ノ郷駅の写真を発見。模写したものと現在の写真


  !

廃墟がある… と見ていたら軌道自転車があるではありませんか。昔このすぐ脇に線路が通っていた証拠でしょう(昔こんなやつ欲しいと思ったことはありませんでしたか?)。
今回ひとつの発見になりました。


 「さて、何もないが、この先どう通ってたのかね?」なんてしばらく考えてましたが、無駄な悩みだったようです。この道路、なんかいい感じに曲がってますよね。ふつう、わざわざ曲げたりしませんよね。つまり、この道路が(あるいはこの道路に沿った部分が)線路の跡なのでしょう。(むしろ、他にどこがあるってんだよ)
このカーブの途中には、鉄橋も残っていたらしいですが、一目見て残っていないと分かる状況です。


振り返って撮影。
某衛星写真閲覧サービスのサイトで見た所、フェンスに沿った延長線上が、かつて分岐していた所とぴったりな感じでした。
上に出てきた軌道自転車ですが、写真中央右寄り、すこし木が茂っている所にありました。


住宅地を抜け、バイパスに出る。
写真中央辺り、プレハブ小屋の建っているところがかつての線路跡と思います。そこだけガードレールが切れていますが… ただの自動車出入り口でしょうね。
写真の道路は新R56号(バイパス)。
高架道路の下辺りから撮ったと思います。


振り返って撮影。
線路跡は、多分、写真の赤いバックホーのすぐ左を通っていたものと思います。←結構いい加減。
さて、ここからよく分からない。一直線と分かっていても疑いたくなる。バラストの跡もわからないもの。工場から行ったほうが早そうだ。


ということで、工場まで飛んで、そこから戻りつつ線路跡を探すことにしとこ。
で、これが大阪セメント内の線路跡である。この先もっと奥に続いている。


対岸真ん中辺り。色が変わっているところが橋台跡ですね。ただ、橋桁をかけていたであろう部分はコンクリートで固められて一枚だったかのようになっています。


工場側の岸に残っているこれ、踏み切りの設備を固定していた跡ですかね。
そばを走っているのは一般道なので遮断機があってもよさそうな気がしますが、当時を知っている人がいたら情報ください。


当然対岸から反対側(今までいた場所)も見る。
カーブミラーのすぐ右が、今までいた場所です。
こうしてみると、橋脚の残骸ひとかけらもないですね。早々と除けたんでしょうか。それとも潮なんで、風化が早いんでしょうか。


何もないなぁー。と思いつつ反対へ振り返ると、ちゃんと残っているではないですか。橋台。開発で後ろを切り崩されていますが、何とか残っていてくれました。

写真にもユンボーやトラックが写っていますが、この辺に、量販店や公園、ついでにパチンコ屋などが立ち、北環状のイオン高知辺りのように賑やかになるとのこと。そうなるとここの調査もしづらくなりますね。この橋台だけでも残ってくれればうれしいんですが。

追記
車窓から廃線のほうを見ているととうとうパチンコ屋が…



2006年3月再訪


ホーム 再訪してきました。なんかすごい様子が変わっています。雑草に覆われていたホーム跡(上のレポートには載せていませんでしたが)はすっかり整地され更地になっていました。そして写真のホーム。端っこを少し残してなくなっていました。

工場からさらに港の方に行く線路を見てきました。といっても現役バリバリの工場敷地内なのでトンネルだけお見せします。現在はコンベアが走っているようです。
 
2007.2.12

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