大志呂トンネル旧線


 
1962年2月20日、土讃線土佐岩原-豊永間で大規模な土砂崩れがあり、鉄橋を飲み込み、吉野川へ押し寄せるという災害があった。その結果ルート変更が決まり、大志呂トンネルが掘られたのである。

   旧線跡に降りるには土佐岩原駅から林道を一キロほど車を走らせ、さらに林道を一キロほど歩かなければならない。
   この林道も綺麗な石積みが残っており、林鉄跡を感じさせるがこんな所に軌道があったという話は聞いていない。勾配的にも鉄道関係ではないと思う。
   しばらく行くと視界が開け、吉野川を見下ろせる場所に来る。ここが崩落地点であり、急斜面の真下に路盤がある。この崩落で軌道跡は分断されている。先にトンネルのある南側へ降りる。
   降りるといっても道は無いのでこのようなわけの分からないところを降りるしかない。
   やがてぴったりトンネルの真上に降りた。こちらは北側のトンネルの多度津側である。便宜的に第一隧道と言おうか。
  せっかく来たのに多度津側坑口は撮りわすれてしまった。こちらは高知側坑口。といっても崩落して植生もあるので見え辛くなっている。と言うか刈払いでもしないと写真に写らない。とりあえず真中辺りの黒っぽい部分がトンネル。
   さらに坑口付近は激しく痛んでおり、レールによって補強されている。
   そばには

要注
隧道変状
落盤
75K835M

とある
   トンネルを出たところには古レールで作られた落石防止柵が立てられてる。しかし大量の土砂に負けてしまっていた。
   間髪いれずにまたトンネルが現れた。