竿谷橋2

   反対側は拍子抜けするほど完全に近い状態のまま。
   しかし、封鎖の措置はきちんとしてある。
   バリケードを過ぎると一台の草ヒロが出迎えてくれた。
   ホンダTN7。いつからここにいるのだろう。
 旧道に残る遺構は多い。カーブミラーの跡。
 ヤブ。道路が管理されなくなると、やがて側溝に土砂がたまり、それが道路まであふれだす。そるとそこに草木が茂りだす。
 おどろくべきものを発見した。道路脇に取り残された看板である。「注意 信号機が赤の場合は通行できません」とある。探索当時は知らなかったのだが、後に廃線隧道のしろさんから次のことを教えてもらった。国道の復旧には地すべり地帯を避けた新ルートを作る必要があったが、時間がかかりすぎるので仮設橋を建設し、信号機による交互通行で暫定的に復旧させたと。コレはその当時の遺物らしい。
 とすると、今まで歩いてきたどこかに仮設橋の跡があるはずだが、気が付かなかった。コレは再訪の余地がある。
 道路標識。
 設置者は愛媛県だった。表示は筆文字風になっている。
 傾いたカーブミラー。ちゃんと反射鏡が残っている。
 草刈りをすれば、崩落地点までは車が入れそうだ。
 ようやく新道が見えてきた。しかし、旧道自体もかなり勾配があるため、なかなか合流しない。
 途中、電線が横切っている。
 すると、そこから轍が現れる。電気屋が保守のために乗り入れてくるのだろうか。
 やがて雑草も少なくなり、林道のようになっている。
 やがて、またも興味深いものを見つけた。
 「歩行者迂回路 至中之池」とある。中之池とは、西条市方面に行った、赤い鉄橋の架かっている付近の地名である。
 車道の下には下界へ降りる山道が続いている。仮設橋もなかった頃の遺物らしい。ただひとつ、どうして山側にこの看板があるのかが謎だが、要らなくなったのでゴミとして放り投げたのだろう。
 もうひとつ、そばには公衆電話キャビネットのようなものの残骸が残っていた。場所柄、融雪剤か砂袋を入れていたのだろう。電線やヒューズが残っており、夜間は煌々と明かりを灯していたのだろう。
 そこからしばらく行くと、ようやく新道に合流するさまが見えた。
 分岐地点。以前はガードレールで封鎖されていたようだが、この時は開放されていた。

 目次