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伊尾木林道仙谷線 その1




※この地域には熊の目撃情報が報告されています。


 仙谷線は伊尾木川中流部に合流する仙谷川という支流沿いに引かれていた路線である。2級線だと伝わっている(そもそも四国の1級線は奈半利川線と田野線の2つしかないが)。仙谷川はちょうど県道207号線の終点付近から分岐しており、先日紹介した西川線の隣に位置する。マイナー路線だけあって、明かされている情報は少ない。昭和9年と16年の2段階に分かれて建設工事が行われたようだが、その際の延長などは明らかになっていない。また、はっきりした廃止年も明らかではない。林野庁が公表しているPDFでは昭和26年を廃止年としているが、森の轍では昭和26年は牛馬道に降格したとなっており、廃止年は不明となっている。いずれにせよ、伊尾木の路線の中では西の川に次ぐ短命さだったと思われる。線形も特徴的である。終点までにヘアピンカーブが12もある。伊尾木のその他の路線にこれほどくねくね曲がっているものはなく、ここだけ異色である。それほどまでにして伸ばした軌道は、人跡稀な山中に一体どんな景色を残しているだろうか。

 慣習に倣い地形図を確認すると、仙谷線の終点付近に至る車道があるのが確認できる。記憶が正しければ、この林道は仙谷林道と言い、軌道の後継路線に当たるものと思われる。小川線の調査の例に倣い、この林道をつかって終点近くに原付バイクを運び込むことを考えた。しかし、プレ調査の際にその林道に行ってみると、終点よりはるか手前の尾根を越えた所にゲートがあり、一般車は通行できない状態になっていた。そもそもこの林道へ行くは宝蔵峠を経由する必要があり、大幅な迂回が必要である。つまり、車道を使う旨味が殆ど無いわけである。 仙谷線の路線長は7キロ弱ほど。昨シーズン調査した小川線の半分ほどしかない。しかもつづら折れが連続しているため、直線距離で言えば更にその半分程度の距離となる。そこでだ。今回は終点を征服したあと元来た道を引き返す、"行ったら帰ってくる"作戦で行くことにした。結果的にその判断が正しかったことが判明するが、その話はまた追々したいと思う。



 時刻は午前8時45分。当初8時の伊尾木入りを予定していたが、想定以上に移動に手間取ってしまった。だが致命的なほどではない。帰路はつづら折れをショートカットすることで大幅に時間短縮できると思われることから、それほど深刻には捉えていない。

 ここは県道207号線の終点に架かる、安明寺橋という橋の前である。県道207号線の末端区間は軌道跡を踏襲しており、軌道時代も同じ場所に橋が架かっていたと思われる。この橋を渡らず、右岸をずっと進んでいたのが仙谷線である。最初の数百メートルは伊尾木川沿いを進むが、程なくして仙谷川に入ってゆく。地形図からは、最初の一キロほどが車道化されていることが読み取れるが、その通りに林道が分岐している。この林道の入口に不穏なものが設置されている。




 どうも企業に払い下げられ、国有林道ではなくなっているようだ。いきなりのイケズにタジタジである。しかし、よく見なくてもこの入口の勾配は軌道由来ではない。ひょっとすると、車道を歩かずに済むのかも知れない


大 正 解


 ←仙谷線とのファーストコンタクトである。車道開削の影響か、若干のダメージが感じられるが、それでもはっきりそうと分かる程度の平場が残っている。進むに連れて状態は良くなり、岩盤を削って作り上げたであろう場所は、レールがないことを除けば現役当時さながらと言える光景が広がっている。→



 しばらく伊尾木川沿いを進んでゆくが、やがて仙谷川に入る。
雰囲気もまずまず。森がこの先の冒険へ誘っているようだ。
否が応でもこの先への期待が高まるってなもんだ。



いきなりの 終 了


 順調に進めると思っていたが、土砂の山に路面は土砂に埋もれ途絶えていた。唐突な展開(当社比)だが、この段階ではまだ「まあ、乗り越えていけばまた、元通り復活するだろう」と脳天気に考えていた。
しかし現実は非情である。

 


つづき、ありません。

 これは正直予想外であった。それでもまだ、狼狽えるにはすこし早い。今度はこの土砂をまっすぐ登ってみよう。



 斜面を登ると、そこは広場になっており、丸太が並べられている。入口の看板にあった清水産業についてググってみると、林業を生業とする企業のようである(私有林道を持っているんだから、そりゃあね)。どうやらこの奥の山から木を切り出している最中のようだ。積まれた丸太は切り口が新鮮で、ここに置かれてから間がないことが分かる。こんな所でばったり作業員と出くわしたら嫌やだなあ・・・・。

 ・・・・などと思ったが、次にはどうでも良くなった。

 



溝!


その左を見ると・・・・


こっちにも浅い溝!



コイツはヘアピンじゃないか。


 どうやらヘアピンカーブの中を崩し、広げ均してこの広場は造られたようだ。一般的にヘアピンカーブは、傾斜のゆるいところに造られるものだ。パイロット道路(軌道跡)もあることだし、造成は容易かっただろう。そしてこの広場は、切り倒した材木を一時的に集めておくところらしい。森林鉄道でも、切った丸太をひとところに一旦集め、そこで改めて積み直して下界へ運び出すシステムが多かった。時代が変わっても
山のスタイルは変わりなく続いている。    

 

 ヘアピンを抜けた軌道跡の溝は、しばらく斜面の下に続いているが、やがて広場の高さと同じになり、同化している。広場になる前はどんな感じだったのだろう。深い深い切り通しになっていたのだろうか。場合によってはトンネルの可能性・・・・は流石にないか。今のうちに言っておくが、この路線にトンネルはなかったようである。

 

 広場からは更に奥地に向かう林道が伸びている。これが軌道跡と見て良さそうだ。って、結局こうなるのか・・・・・。しかもチェーンが外れている(=奥に誰かがいる)し・・・・。

 

 奥に続く林道は軌道由来のゆるい勾配を持っている。が、しかし、通行禁止である。さあて、どうすっかな。ここを通らなきゃ奥にはいけないだろうしな・・・・・。でも、トラブルはごめんだし・・・。しばし思案した後、妙案を思いついた。

「道を歩けないなら、斜面を歩けばいいじゃない」

 まあ、誰もおおよそ名案だとは思わないような方法だが、他に道がないので仕方がない。言うまでもなく、急傾斜をまともに歩けるはずがなく、やせ我慢せずに下の林道へ降りようかと思った頃には、林道ははるか崖下に離れ去っていた。しばらヒーヒー言いながら彷徨っていると、それは突然にやってきた。




 

 "すげー所"を歩いていたら、いい具合に窪んだ所があったわけで、ちょうど一息つけると思って降りていったらわけだが、そしたらこの出会いだった。斜面を歩いていたので気づかなかったが、林道はこの少し手前で谷底に急降下し、川を渡っている。そのため高い所に路盤が残されたようだ。この窪みは切り通しである。そして対岸に行った林道は、この先戻ってくることはなく、ここから軌道跡の単独区間に成っている。よかった、もうおっかなびっくり歩かなくていいのね。

 

 起点側の橋台も残っている。木々に隠れているが。他には電柱の跡と思われる穴とコンクリートの塊を少し離れた所で見つけた。

 

 期待を胸に秘め、先へと進む。が、すぐさま別の谷の上で路盤は途切れていた。対岸へは垂れたワイヤーが繋がっている。後年、吊橋として利用されていたようである。

 

 仕方がなく、下の川へ降りる。河原から上流方向を望む。幸い、川の水は多くなく、河原を歩けそうだ。対岸には林道が通っているが、意地でも使ってやんねっ!

 

 少し進むと、いくらか取っ掛かりの多いゆるい斜面があった。ここをよじ登る。


 すぐに軌道跡に復帰。ミツバチの巣箱が設置されている。自分と同じように、誰かが上り下りしているようだ。ところでこの巣箱は誰が置いたんだろう? 清水産業? いや、多分地元の人。なんだ、ヘーキで林道を通ってんじゃん。

 

 しばらく行くと、またも雲行きが怪しくなってくる。路肩が崩れ、落とし穴になっている。この丸太は桟橋の代わりなのだろうか。後年、歩道として使われていたのだろうか。

 そしてその先、路体は足の幅だけを残して崩れ落ちていた。ここは挑戦する気も起こらず、すぐさま下の川に下りることを選んだ。ったく、ここは安居林道か!?? あそこもこんな感じだった。奥安居の末端区間にそっくりだ。マトモに歩かせてくれないの。

 

 仙谷川沿いを歩く。普段の水量はわからないが、少なくともこの日は少なかった。飛び石が多く、行ったり来たりが容易だった。



 しばし軌道跡を上に見ながら進む。さっきの所はこうなっていた。たぶん、仙谷で一番風化が進んでいるのはこの近辺になるだろう。伊尾木全体で見ても、ここは極めて状態が悪い方に入る。歩いてて楽しくないぞっ。

 

 と思ったら、ええもんが残ってまんなあ。


 これはなかなか感心した。大体20段ほど積つまれており、比較的大きい部類に入るだろう。積み方も丁寧で、この横から見た画像を見ると、角が非常にシャープなラインを描いている。これを手作業で積み上げたのだからすごいの一言だ。2016年の今日に至っても崩壊していないという事実も、もちろん評価を押し上げている。



 ここからよじ登れそうだ。横から見ると、橋台の後ろ五列目辺りから積み方が変わっているのも面白い。平面は表面積が小さく崩れ難いからテキトーにしてあるのだろうか。



 起点側の橋台はなくなっている。岩盤に直接桁を架けていたとかいうような風ではなく、どうやら崩壊してしまったようだ。見えている木の根っこが犯人かもしれない。

 

 いっぽうの進行方向側も、上から落ちてきた土砂に埋まっている。しかし路盤に損傷はないようだ。滑り落ちないように気をつけていけばよい。

 

 崩落土を乗り越えていくと、そこもまた小さな谷川になっていた。ここは沢渡りで通過できた。

 


 終点側から見る起点側の橋台。軌道跡で見るオーソドックスな形である。

 

 そこから進んでいくと、いくらか傾斜の緩いところに入った。軌道の痕跡も、この近辺では流石に明確に残っている。




 いいね、この感じ。こういうのを求めていたんだ。これぞザ・林鉄って感じじゃない?
ところで、橋台の上に倒れ掛かっている木の形がキモいんだが。根が生きてて復活しちゃったのかね。

 

 以降、似たような景色が暫く続く。

 

 途中の川向うに炭焼き窯の残骸が見えた。軌道沿いにはこういった炭焼の跡が多い。昔は営林署が製炭を行っていたこともあるし、単に利便の良い軌道沿いに一般人が炭を焼きに来ることもあった。後者の場合、近くの大久保集落やツヅラ集落(廃村)から焼きに来ていたのだろうか。前者の場合でも、実際に焼いていたのはバイトで雇った地元の農民だったりする。


 途中、軌道跡の下に水平な土地が広がっていた。古地図には地名や集落を表す記号はない。軌道関係の何かがあったのだろうか。

 
 

 切り通しを抜ける。仙谷線の序盤に切り通しは少なかった。久しぶりに切り通しを見たなと思った。

 

 切り通しの山手の法面は石積みで守られている。ここを抜けると方角が90度かわり、景色の雰囲気が少し変わる。切り通しの手前は南向きの斜面で明るかったが、奥は向きが変わり山の裏手になるので鬱蒼とした雰囲気になっている。その奥にももう一つ切り通しが見えている。

 

 奥に見えていた切り通しである。格別特徴のない、林鉄跡ではオーソドックスな切り通しである。
 現代の地図では、この付近までの軌道跡が点線で表記されている。何か変化があるかと期待したが、特に何も変わらないようである。



 そうこうして、出発から二時間が経った。歩いた距離は3キロを越えたぐらいか。ようやく仙谷川を渡る最初の橋へたどり着いたようだ。




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