東京旅行記


日下 
2103 [普通]772D
高知2130
2210 [高速バス]よさこい号
新大阪 538
609 [快速]700M
米原748
802 [快速]2341F
大垣836
855 [新快]2212F
浜松1045
1113 [普通]754M
静岡1224
1227 [普通]1444M
熱海1346
1400 [快速]アクティー3760M
東京1533
 
 夏は旅行の季節である。今まではあまり旅行には縁がなかったのであるが、姉が東京へ就職したのがきっかけで宿代が要らないことになったのである。なので今年の盆は一家で東京へ行くことになったのである。
 基本的には18切符の旅なのであるが、母が非鉄のため高知から終電近くまで乗っていくのは厳しいということになり、前日から夜行バスで新大阪まで行くことにした。日下から汽車で高知駅まで行き、30分ほど待つと、やがて「よさこい号」がやってきた。土電の車両で、一人掛けが横に三つ並んだ格好をしている。あまり足を伸ばせなかったのが辛い所であったが。
 後は寝るだけである。数時間寝るだけで後は大阪まで連れて行ってくれる。
 5:00頃目が覚めたが、すでに都会の匂いがぷんぷんした。大阪は8年前に来て以来だった。しかし今回は大阪のさらに550km先の東京まで行くのである。
 5:38新大阪着。ここで降りたのは私達だけであった。ひょっとしてもっと賢い降り方があったのか。そのまま駅構内へ。
 ここで長距離旅行の友、18切符の登場である。いまさら説明するまでもないと思うが、青春18切符とはJR6社の普通列車と快速列車と宮島航路に1日乗り放題という優れものである。急行や特急、新幹線とJRバスは、急行券、特急券を買っても残念ながら乗れない。1枚で5回まで使える。または5人で一回、2人で2回使うという使い方もありである。値段は11500円で1回あたり2300円である。子供料金はなく、小学生でもおじいさんでも同じ値段をとられる。と、こんなところである。行きは3人で行き、帰りは母を先にバスで帰して父と2人で帰ってくる計画で、切符に判を3個もらった。
 駅構内に入っても広いし設備もいいし、きょろきょろしている自分がつくづく田舎者。昔大阪に住んでいた父と母は懐かしそうな様子。
 新大阪で2、3枚撮影。構内には3つの動輪が飾ってあった。トイレ休憩の間に見学。手前から0系、C57、9600。旅客用のC57の動輪は大きい。ここは待ち合わせの良い目印となっている模様。
 当然運行密度も高く、ちょっと待てば何かしらの列車がやってくる。ホームで快速を待っているとムーンライト高知一行に遭遇。ムーンライト松山とムーンライト山陽にはさまれている模様。昔は最後尾と聞いた覚えがあるが。

 207系登場。事故以来風当たりが強くなっているが、めげずにやってほしい。
続いて103系。およそ3400両が作られたこの形式も大分数を減らしており、キハ58みたいな希少価値でも出たりして。

新快速313系 やがて乗る快速がやってきたのですが、すでに満員で米原までずっと立って乗ることに。その列車はまだ余裕でしたが、米原から金山行きのに各駅停車乗ったときは通勤ラッシュ状態。ちょうど横に手すりがあって、腹につかえて痛いし、立ちっぱなしで足が痛いし。幸い乗り込む段階で満員だったため立ち位置はドアの前。ドアが開いたら「福島ダッシュ」ならぬ「米原ダッシュ」で席確保。ホームで走っちゃいけないんですが、ほとんどの客が結構殺気立っていたようで、押されるように乗り込みました。ここまでおよそ3時間立ち続けでした。写真も撮れなかったし。
しかしこれで2時間半も座ることができ、ほっとしました。
 岐阜駅を過ぎると名鉄の市内線跡を駅前の道路に望みつつ加速していきます。すぐに名鉄名古屋本線と交差します。ちょうど1000系と交差した所でした。駅の少ない東海道線で快速運転をするので名古屋まであっという間でした。名古屋にもいろいろなのがいますね。JRも名鉄も。冬に登場したばかりの名鉄2000系にもめぐり合えました。新幹線も在来線と同じ高さまで降りてきて並走。地上部分が多く存在する東海道新幹線ならでは。うとうとしていたら豊橋到着。名鉄に別れを告げて東へ爆走。
浜松にて 浜松で昼食。名前は忘れたが鰻を食べたはず。これより鈍行列車でなおも東へ。しかし普通列車でしかもロングシートで弁当は人目を惹くか?
 静岡着。3分待ち合わせで次の列車である。あまり接続がいいのも田舎者には合わないか。高知はタイミング悪いと次の列車が平気で90分後とかw。あんまり接続がいいとなぜか申し訳なくなってみたり。あと富士山を探してみましたがあいにく靄が立ち込めてその姿を拝むことは叶わず。富士を過ぎ、丹那隧道へ入ります。全長7000m強もあり、斗賀野隧道の4倍ほど。当初から複線仕様となっており、技術者たちの苦労を思いながら通過。ちなみに気付かなかったが掘削中におきた地震のため活断層を貫通していた個所が3m程ずれたためにこのトンネルS字型になっているそうな。
熱海 251系 熱海着。前も後も山である。ぽっかりとトンネルが口をあけている。そして海も近い。鉄道の通る前は陸の孤島だったのではないだろうか。その昔東海道線は御殿場経由だったし。今の御殿場線が旧東海道本線である。
 15分ほど待って最後の乗り換え(都市圏入ったら細かい乗換えがあるけどね)、快速アクティー乗車。215系と思っていたのだが、いつの間にか撤退してたのね。ううっ勉強不足。来たのは113系。そしてこの列車、揺れますね。縦揺れがすごい。レールの継ぎ目で飛び跳ねる。路面電車でもこんなに揺れませんよ。横揺れは逸品ですがね(いやみですいません)。
 ところで真鶴を過ぎたときですが、父が「旧トンネルがあるぞ」というので窓に顔を近づければ、単線か複線かわからないほど一瞬、程よく古そうなトンネルが見えました。反対側はというと、木の切れ目が筋となって、半島の先のほうへ続いているではありませんか。面白そう! 後で調べたところ、昭和47年にトンネルが掘られ、切り替えられたそうな。窓付きのトンネルという珍しい品が眠っているそうな。このときは次で降りて歩きに行きたい衝動にかられたがぐっと我慢の子。横浜辺りまで頭から離れませんでした。小田原で小田急を見て忘れましたが。
 重ねて言いますが東京は始めてです。横浜まで来て、今まで雑誌で見たことしかなかった、209系やらEナントカ系やその他私鉄も走り回って、あっちをキョロキョロ。典型的な田舎者になってました。横浜を過ぎると209を追いつ追われつ。高知なんて単線ですから追いかけっこなんてできませんからね。分岐駅で同時発車か同時入線をしたとき、追いかけっこしているように見えるかも知れませんが。それが長い時間続きますからつくづく「都会だなあ…」と思いました。(笑
 15:33。田舎者のオーラを出しまくりながらの東海道線の旅も終わりを告げました。(まあ帰りもありますが…)
 さて姉と落ち合わなくてはならないのですがまだ1時間近くもありました。東京駅構内をうろうろしてみましたが田舎者の来る所じゃないですよ。服装から違います。それからあちらの方は人をよけるのが上手い。私はぶつかりそうになる度立ち止まってましたが、あっちの方はしめし合わせたかのように余裕でよけていきます。いつぞやのデータで四国の1日の鉄道利用者と品川駅の1日の利用者が同じとか。それだけ人が多い。
 やがて姉と落ち合い山手線へ。これが山手線。電GO!の山手線。205の頑張ってるときに来たかった。103…まで言うと贅沢か。なんて思いつつ外回りに乗車。渋谷で東急に乗り換え。運賃150円。安い。三軒茶屋で世田谷線に乗り換え。140円。もっと安い。1925年に開通したこの線も途中が廃止になって取り残されたり世田谷線そのものが廃線の危機になったりしたそうであるが、沿線住民の猛烈な反対運動で生き残ったりといろいろあったらしい。新車も入れたりとなかなか活発だと思う。旧型車好きの自分にしてみれば新車イラネと思ってみたりもするが。7分ほどごろごろと走って本当の旅の終わり上町着。長かった。

こっから先の経路は個人宅のため勿論秘密です。

2日目