安居林用軌道安居線7


 無事車道の下の軌道跡を捉えた。この区間は人の歩いた気配が感じられず、人の手を離れて久しいことがわかる。しかも間もなく、木橋の洗礼を受けることになった。
 A
 さすがにこの橋を渡る勇気はなかった。雪国ならば、雪の重さが相当あるため、形が残っていれば大丈夫なことが多いが、ここはそれを期待できない。
 というか、ずいぶんと簡素な橋だなあ。こんな橋をトロッコが走ったのだろうか? 軌道はこの奥にある大滝神社や筒上山への登山道も兼ねていたから、軌道の廃止後に歩道として作られた可能性もある。また、後にも先にも橋が残っていたのはここだけであった。
 材木の痩せ具合もひどい。鉄道橋として作られたのであれば、防腐処理がしっかりしていそうなものだ。
 気を取り直し奥へ。
 しかし、崩落に見舞われている。人の手を離れたものは、こうなる運命なのである。
 以下、似たような写真が続くため写真集とする。

  

  

  


 B
 しばらく行くと、ようやく変化があった。少し広い平場が現れたのである。
 人工的な地形であることは、周りにめぐらされた垣で明らかであった。
 少し辺りを探索してみると、謎の穴や・・・・
 煉瓦、
 かまどの焚口などがあった。風呂か調理施設を持つ建物があったのだろうか。
 放置レール。状態は良好に思える。何かに使えないかな・・・・・?
 広場を離れてしばらく行くと、またもヒヤリとさせられるところがあった。遠目に見ると、岩の割れ目で道が絶たれているように見えた。
 実際には若干の足場があり、何とか渡ることができた。
 この区間では、おそらく一番歩きやすかったと感じた場所。
 C
 そこから少し行くと、斜面の上から歩道が降りてくる。
 これは車道の開通後に整備された、大滝神社への参道である。この場所より奥の軌道跡は神社への参道に整備されているのである。これができる以前はおそらく、自分が歩いてきたと同じように軌道跡を利用していたと思われる。
 ちなみに上部の車道にはこのような看板があるため、迷うことなく神社までたどり着ける。
 D 
 さて、軌道跡であるが、進行方向に目を向けると、行く手に立派なトラス橋が見えてくる。
 これも参道として新たに作られたもので、鉄道用のものではないようだ。この先こういった橋がいくつも架かっている。
 橋台はおそらくは当時物だろう。
 参道として整備されているので、当然だが歩きやすい。
 トラスではない橋も架かっている。
 橋とセットで片洞門が残っている。
 ダイナマイトを仕掛けた跡だろうか、無数の溝が岩肌に残っていた。
 E
 築堤と浅い掘割。
 一部崩壊しているところもあるが、必ず迂回できるようになっている。
 トラス再び。
 立派な橋台が残っている・・・・・
 ・・・・横に、橋台の残骸らしきものがあった。旧橋があった??
 ハイキング気分。
 木造の橋も。明らかに手作りであるし、道に対して一直線に架かっていないので、近年作り直されたことは明らかである。
 反対側から見ると、落ちた橋がまだ残っていた。
 F
 トラス橋にも大小規模があり、一径間のものが多いが、
 この橋は途中に橋脚を持つ二径間の橋だった。
 G
 更にいくらか歩くと、少し開けた所に出た。
 本によれば、この広場は機関車の発着場だったらしい。軌道はこの奥にも続いているのだが、機関車はこの広場で折り返していたらしく、おそらく機回しのためのデルタ線なんかがあったのではないかと思う。この広場には捨てレールがまとまった数残っていた。さて、SNAKE氏のサイトで公開されている路線データによると、この付近より奥の軌道は戦後間もなく索道に切り替えられている。地形が険しすぎて危険なのと、高度を稼ぐために6.5キロもの大迂回を強いられていたのがネックだったのだろう。実際、新設された索道の延長は700メートルほどだったらしく、いかに遠回りだったのかがわかる。発着場については、一応探してみたものの痕跡が見つからず、正確な位置は特定できなかった。ただ、でかい巻き上げ機を設置するなら、機関車発着場の広場が最適だろう。この付近には他にも八十五支線という支線があったようだ。残念なことに、数回に渡る調査ではその痕跡は見つけられなかった。

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