 | この先、軌道跡は暫く道路と重なってしまっているため、要所要所速足で見ていきたいと思う。 |
 | A ダムを過ぎて程なく行くと橋がある。銘板には舟ヶ石橋とある。 |
 | 見た目からして車道化の際に架け替えられたものだろうが、下を覗くと、古い橋台の跡があった。 |
 | 擁壁は当時のものだろうか? |
 | B ダムから500mほど、今度は桑の木橋という。 |
 | 広さから判断して改修を受けているようだが、下へ潜ると右半分が流用されていることがわかった。左右で橋脚の数が違う橋とは、普通に通るだけでは気づかないだろう。 |
 | 橋台の右半分には木造時代のものと思われる穴が開いている。 |
 | 暫く行くと、大きな橋が見えてくる。古地図を見る限り、軌道も同じ位置で川を渡っていたようだ。 |
 | C 橋は安明寺橋という。あみょうじと読む。ちなみに県道指定されているのはこの橋までで、渡った先は安芸市道となる。なお、この橋を渡らず更に奥に行く未舗装の道があるが、ここから仙谷線という支線が敷かれていた。 |
 | これも両岸に古い橋台の一部と思われるものが残っていた。現役当時もさぞ立派な橋が架かっていたのだろう。 |
 | 左岸に渡ると、市道はコブ状につきだした地形を堀切でショートカットするようになるため、その部分の路盤が三日月状に残るようになっている。 |
 | D まずは一個目。路盤は足元に確かにあったが、見所はない。入って後悔した。 |
 | そんな事より、車道に鉄板のようなものが埋まっているのが目についた。 |
 | また何か年代物の看板でも埋まっているのかと、足でグリグリやっていたら・・・・ |
 | レアな旧型標識だった。 |
 | E 二個目。旧版地図には隧道表記がある。現在は開削されていて痕跡はないようだ。 |
 | F 三個目。 |
 | ここはカーブの外に路盤の跡が残っていた。 |
 | しかも入ってすぐの所に距離標を見つけた。こんな事があるからどんな短い路盤でもむげにできない。24と言う数字が見えたが、下半分が埋まっているので.5が隠れている可能性は否定出来ない。これより前に見かけた距離標は黒瀬の16k標だったから、早8k進んだことになる。無論、一日で歩き通したわけではないが。 |
 | 突端部分は浅い切通しになっている。 |
 | しかし視線を左にずらすと、更に奥に向かう平場が見えた。旧旧線があったらしい。そちらを通ることにする。 |
 | 途中、河原へ降りる赤道があったが、その斜面から枕木が露出していた。それ以上の見所はなかった。 |
 | 岬の先端をまわる。ここがホントの最突端。 |
 | 振り返って撮影。右奥の暗がりが旧旧線。左が新線の切り通し。進行方向は背後となる。 |
 | 電柱の後ろが一つ上の写真を撮った所。こうして見る分には何でもないような地形だが、やはり昔の土木技術と財力では迂回が一番良い方法だったのだろう。 |
 | G 24KPの目と鼻の先、加勝橋という大きな橋がかかる。ダム湖に架かっていたのは加勝谷橋で、こちらは加勝橋。 |
 | 例に漏れず改修されているが、下に潜り込めなかったので桁を流用しているか確認できなかった。橋台はそのまま塗り固められているようだ。 |
 | H 加勝橋を過ぎて暫く行くと、またも三日月型の路盤が残る。 |
 | 崩落したのか車道化した際の残土を押し込んだのか、入り口は路盤が盛り上がっている。 |
 | それを乗り越えると、比較的安定した路盤の跡が現れる。ここにも放置レールが一本。伊尾木は資源回収にあまり熱心でなかったのか、今までにも何本か放置された見掛けている。 |
 | しかしなんだろう、この違和感は。レールの反り具合といい、置かれている角度といい、埋もれている深さといい、何かこう、感じるものがある。 |
 | 掘ったれw |
 | ・・・・間尺に合わねえ・・・・ |
 | 秘密兵器登場(再登場) |
 | ある! 枕木がある! |
 | 犬釘が刺さってる!! |
 | うぉっ・・・・・、うぉほぉーっ!! 両側ある! つか、何でこれだけ残したwwww? |
 | 考えられるのはこの、入口の盛り上がりだ。もしこれが土砂崩れによるものだとしたら。それが廃止直後で、かつ撤去直前の出来事だったら・・・・? |
 | 外したレールも捨てているぐらいである。埋まってしまったレールをわざわざ掘り出すのが面倒くさかったのだろうか。しかし、お陰で興奮しっぱなしだった。そりゃあ、東川線のそれと比べるとずいぶん見劣りするが、期待していなかっただけにこの発見は嬉しいものだった。 |
 | この部分の全景。写っている範囲が全て。こんな所にこんなお宝が眠っていたとは・・・・・・ |