上関林用軌道 その4(終)
ヘアピンのところでしばらく頑張ってみたが、やはりこの部分の軌道跡は林道に削られてしまったかで残っていないようだ。よくあることなので、林道を進んで登れそうなところから軌道跡に復帰することにした。ただこの林道、勾配がかなり急で、少し進むとあっという間に軌道跡(があると思われるライン)は頭上へ消えた。登れそうなところもなく、糸口のないまま進むしかなかった。
暫く行くと麓のヘアピンに出てしまった。かなり下がってきてしまっており、軌道跡との高低差もかなり開いているはずだ。
流石に来すぎたと思ったが、ちょうどそこには大きな谷があり、登るにはちょうど良さそうな感じではある。それにガスってはいるが、ぼんやりと石積みのようなものが見える。それでここしかないと思い斜面に取り付いた。"おるいの滝"と書かれた標札があったから、遊歩道なんかもあるのかと思ったが、そうではなかった。滝はあくまでヘアピンのところから見学しなさいということらしい。ただ案外登りやすくて助かった。
真ん中ぐらいまで登ると全体像がはっきりしてきた。期待通り石積みが現れてホッとした。想像よりもだいぶ規模が大きく、下から見えていたのはほんの一部だったと知って驚いた。そこから上を見上げると、巨大な岩壁がはるか頭上にそびえ立っている。上の方はガスで霞んでいる。こんなマイナー路線でこんな景色に出会えるとは思ってもみなかった。
それからすぐに軌道跡に復帰した。石積みが気になるが、先に飛ばしてきた手前の部分を確認に行く。左画像のように、最初は状態が良かったのだが、程なく急速に状態が悪くなり、やがて路体の欠損に見舞われた。高巻きで突破できそうにも見えたが、面倒くさかったのでやめた。
改めて進行方向。手前が崩落しているが、石積みの部分は無傷に近い。そういえば、このときは探索に夢中で気が付かなかったが、"おるいの滝"はどこにあるのだろう? 帰宅後に調べたら、随分昔に枯れていて、今はまとまった雨が降った後、短期間しか見られないそうだ。
崩落したところを振り返って見る。このときちょうど、写真でも分かる程度に雨脚が強くなり、雨だれが岩肌を伝って目の前に落ちてきている状態であった。おそらく滝が現れたときもここに流れ落ちてくるはずだ(奥の崩壊地ではなく左手前の水溜りの所)。軌道には水がもろに掛かるはずだが、対策が施されているのか、滝が現れる時間が短かいせいなのか、路体にダメージは見受けられない。
起点側から全体を見る。真ん中の黒っぽい部分が滝。合茶のトンネルと並び、上関林道を象徴する場所だと思う。現役時代の写真があるなら是非見たい。
滝を離れ林の中に入る。
間もなく橋台があった。オーソドックスな台形の橋台だった。対岸の橋台はここからは確認できない。
谷は深く、迂回にはかなり下の方まで降りる必要があった。見た感じ、終点側の橋台はなさそうに見える。岩が天然の橋台になっていそうだ。上からの様子。その後は荒れているところも多々あるが、続行不能になるような致命的な決壊などはなく、順調に探索を進められた。
やがて谷底が近くなり、左画像の場所に出た。持参した路線図には、間もなく橋の跡があることが記されていた。程なく途切れた。
橋台は右岸側(終点側)のみ残っている。起点側は崩壊している。ちなみにここまでに何度か川を渡ったが、行川を渡るのはここが最初で最後。今までのは大きいのも含めて全部支流である。
行川の右岸へ移った。局所的にすごく荒れている。水はなかったが谷間になっており、大雨かなんかで荒れたようだった。
すぐ先に見えている林に入ると、何かの土台のようなものがあった。なんだろう。回転砥石でも据えていたのだろうか? 山で使う鉈や鎌などを整備していたのだろうか。ちょっとした平場になっているので造林小屋などあっても良さそうだ。
軌道跡は再び杉林へ。途中やけに整然とした感じの所があった。1975年の空中写真を見ると、周辺が段々になっている。この頃に植えられたのが今ここまで育ったのだろうか。やがて浅い切り通しを抜けると・・・・
大きな橋の跡があった。起点側の橋台は崩壊していた。向かいの橋台の右下には踏み跡があったが、この真下は岩肌むき出しで、小雨の降る中では降りるのは危険と考え、少し手前から谷底に降りることにした。谷が深く、渡れるところを探したらかなり下の方へ降ろされてしまった。
川を渡って登り直していると前方に大きな石積みが見えた。「立派なものが残っている」と感心しながら写真を撮って、軌道跡に戻ろうと更に登ったら・・・・
橋台が現れた。先程とは形が違うので頭の中が「?」で埋め尽くされたが、落ち着いてよく見ると短い間に橋が2本掛かっているだけのようだ。
2本目の橋は岩の凹みを超えるために作られた陸橋だった。起点側は岩が天然の橋台になっている。申し訳程度の足場があるので、一本目の橋のところへ行くのは簡単だったが、特に何も残っていない。それと起点側の橋台は崩壊していた。
すぐ後ろにさっき見た石積みがある。4個目の橋台とこの石積みは繋がっているので、大規模な石積みになっている。ここまで石を積むのなら2個めの橋も石積みで良かったんじゃ?
その後はしばらく黙々と歩いた。時刻が気になってきたのと、陸橋が一つあったくらいしか大きな遺構が残っていなかったからである。軌道は傾斜が緩やかな斜面に入った。GPSは大きななだらかな尾根を指していた。蛇野集落が近いが、軌道沿いに建物はなかったようだ。
尾根をまわると、白い目立つ看板のようなものがあった。近づいてみると登山道の案内のようだ。平成30年とかなり最近の日付だ。林道が通行できなくなって登山口に乗り付けられなくなったので、麓の方から登山に向かう人のために案内を出したようだ。地図拡大
左下から急角度で登ってくるのが登山道。降りれば蛇野集落に行けそうだが、自分は当然真っ直ぐ行く。ちなみにここまでの軌道跡は地形図に破線で示されていたが、ここから先は載っていない。
浅い溝で尾根を通過する。ここが集落に最も接近するところだが、人家は見えない。
久々に大きな崩落があった。地形図にもルートが残っていないし、末端の区間は放棄されているようだ。
下を見るとガードレールが見えた。ゴールが近づいている証だ。
その直後にも橋の跡。最後から2番めの橋。
そしてかなり水量の多い川に出る。最後の橋の跡。
水量は多いが深くなくて簡単に渡れた。起点側の橋台は見当たらない。水面からの高さが殆どない。
終点側には橋台っぽい石の積み重なりがある。
そこを過ぎるとゆるい斜面に出た。
傾斜が緩やかで崩れた様子もないのに、軌道跡がさっぱり見当たらない。もう終点を過ぎたのだろうか。路線図の終点の義定地とも重なっているので、その可能性はあるのだが、こんなにも唐突な終りを迎えたのがイマイチ納得できない。
ふと、ある可能性に気づいたので、最後の橋台のところに引き返してきた。橋を渡った直後、右上に駆け上がっていないだろうか。
起伏のほぼない、なめらかな斜面が続いている。インクライン跡に見える。インクラインで上部軌道(たぶん2級より劣る作業軌道かなんか)に続いていたのだろうか。
ゴールのわからない斜面を登って確かめるのは面倒くさいので、決着は空中写真が頼りだ。戦後まもなくの空中写真を見ると、終点付近に不自然に真っ直ぐなラインが見える。ネガの傷ではないはずだ。すぐ手前まで軌道跡が伸びているのがみえるし、何なら続き(上部軌道)のようなものも見える。睨んだとおり、あの斜面にインクラインがあったのだろう。上部軌道については、資料がないのと、2級より下の規格の路線に手を出すと収集付がつかなくなるという理由により、調査はしない方針である。上関林道の調査はこれにて終完了である。
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