西の川林用軌道跡7
第三インクラインを出発。行き違いのため幅が広くなっている。奥に切り通しが見える。
行き違い設備はここまでだったようで、切通から先はまた狭くなる。
切り通しを抜けると細い木が生えていたり木が倒れていたりと雑然とした感じになる。途中に切り通し未満の浅い溝を過ぎてゆく。
この付近、時々展望の開けたところがある。インクラインを登ったばかりで、川との標高差が最大限に大きい。結構高いところに登ってきたんだと感じる。
そう言えば、、出発前は地形図を見てどんなに険しいところかと思っていたが、思ったほど過酷なところではないし、拍子抜けするほど歩きやすい。
崩落等少なく、路面もしっかりしている。やや大きくカーブする。
するとそこから徐々に再び荒れ模様に変わり始める。
小さな崩落は珍しいものではない。
しかし、路体がごっそり持っていかれるような致命的な欠損はない。右手を見れば分かる通り、この辺は岩地である。全体的に見れば安定している方だ。
途中、いくつか涸れ谷を渡る。久しぶりに目を瞠るほどの石積みが残っていた。
この前後は斜面の傾斜がゆるく、周囲に木が多くなっている。空が広くて開放感のある上部軌道の中では珍しく鬱蒼としている。
それも少し歩けば元通り明るくなる。
おだま谷と極印木谷の二股付近。と言っても谷底からはまだまだ高さがあるので、川の様子はあんまり分かんないけど。余談だが、地理院地図では極印木谷となっているが、川の名前を調べる地図では松衛門谷川となっている。極印木谷は川の名前ではなく地名だったのだろうか? 松右衛門というのは人名だろうか。この辺に住んでたとか、行き倒れて○んだとか??。
小崩落再び。剥がれたような平べったい岩が落ちてきている。
その先、また涸れ谷を渡る。下には石積みが残る。路上には結構大振りな石が転がっている。
その先には大きめの切り通しがあった。
切り通しを抜けると、またまた涸れ谷を渡った。2つの谷の間の尾根を切り通しが貫いているようだ。
右を見ると、泡を立てながら滝が流れているように見えた。よく見ると、それは白く凍った滝だった。標高はたいしたことないが、日当たりが悪くて冷え込むらしい。それか気象条件により突発的に冷え込んだのか。
やがて周囲は大きな木が少なくなり、細い木ばかりが生える寂しい所になった。その中を岩の道が伸びていく。
腿より太い氷の塊が落ちていた。散らばる破片から推測するに、これらは一本の巨大なつららだったようだ。雪国では落ちてきたつららで○ぬ人がいるらしいが、こんなのが落ちてくるならそれも納得だ。普段滑落や落石の危険は意識しているが、温暖な四国で氷の危険を意識したのは初めてだ。
少し似た景色が続く。
奥側からこの区間を振り返って。立木で少々見通しが悪いが、絶壁でややカーブしていてと、印象に残る場所だ。現役時代にここで写真を撮ったなら、きっと映える写真になっただろう。なんか伊尾木林道の障子藪の北あたりを思い出す。
左の地図の通り、この路線は末端で二手に別れている。片方はそのまま左岸を進み程なく終点に。もう片方は川をわたっている。まるで支線のようだがこの路線に支線はなかった(2級以上の路線)。SNAKE氏曰く、短いほうは当初の終点(旧線)で、大森山の麓の木を運び出していたと考えられるそうだ。たぶんめぼしい木をあらかた運び出してしまったので、上流かつ対岸に軌道を延伸したのであろう。
で、左がその分岐地点であるが、実はこのとき分岐地点だとは気づいていない。分岐のことがすっかり頭から抜けていたのと、橋台が小さくて目立たなかったからである。写真は撮りに戻ったのでも、後で撮ったのを使っているのでもなく、急カーブで大きく進路を変えていたので撮影しておいたのが、たまたま分岐地点だったのである。
必然的に右の旧線へ先に行くことになった。
間もなく切り通しがあった。だいぶ風化が進んで土砂がに埋まりつつある。切り通しの中の土砂の中には石を積んで
階段にしたような痕跡があった。崩れた土砂の上にあるのだから、軌道が無くなってからの物だというのは当然として、営林署の仕業だろうか。それとも知る人ぞ知る登山道がどこかに隠れているのだろうか。
土砂を越えると急速に道が狭くみすぼらしくなった。
そしてそのまま斜面でぷっつりと途絶えていた。
念のためさらに先へ行ってみたが、平場が復活する気配はない。
横ではちょうど川が分岐するところだった。左が下流側。奥が極印木谷(松衛門谷川?)。右はたぶん無名の谷である。
その後もやはり平場が復活することはなく、谷もきつくなってきたので、さっきの場所が古い方の終点と見て良いようだ。次は戻って新しい方の終点を見に行く。