土讃線山城谷トンネル旧線6

先ほどの写真の橋台の上である。小屋が見えている。ここに橋が架かっていて、C58なんかが走っていたと信じられない。タイムマシンが発明されるものなら、私は真っ先に鉄道趣味に使うであろう。

終盤に近づいてきたが、ハードだが単調な物件だったと思う。木ばっかりでコメントを考えるのが大変である。大抵サーバーにUPしてからもコメントを書き足している。写真なんかもみんな同じに見えない? 同じ写真を二回使っても気付かなさそうな気がする。

木が茂っていて非常に見難いが、また橋台である。半ば埋まっていてこのまま突破できそうである。右側の斜面には既に歩いたような跡があるように見える。先人たちの足跡であろうか。

途中滑ったが難なく行けそうである。途中橋脚まで埋まっていて上に立つことが出来た。道路から結構高さがある。自分の身長を引いても高いほうだと思う。

ここがその突破した斜面である。今写真を見返してみると実際見たより傾斜が急に見える。

なにやら綺麗な石が立っていると思ったらお墓のようである。
お墓を廃線跡に立てたいかと聞かれたときどういう返事をするだろうかと考える自分がいた。

この手の小屋もここでは定番になった。ただ管理されていないらしく朽ちて傾いていた。

最後の橋梁跡がやってきた。この先はもう新線である。電柱が妨害するように立っている。

向こうの橋台は見えない。写真右の白い部分は新線である。

橋脚は段がついている。違う種類の橋をつなぐときはこんな形になる。

新線と再開。


これが今まで苦労してきた場所を一瞬で通過させてしまう山城谷トンネルである。総延長2179.6m。一直線で、写真にも向こうの出口が写っている。直線距離で2キロなら川に沿って遠回りしている旧線は3キロ近くあるのではないだろうか。
以上非常に単調なレポートとなってしまったがこれにて終了とする。