安居林道弘澤線下部軌道・インクライン跡



 安居林道にも数は少ないが、支線が存在する。弘澤線、八十五支線の二つである。その内まともな遺構が期待できるのは、この弘澤線が唯一だろうと思う。弘澤線は安居線の起点から約1.6キロ(直線距離)、手っ取り早く言うと、"見返りの滝"という名前の滝のすぐ近くにあった。上部軌道と下部軌道に別れており、インクラインが両者を結んでいる。延長は上下あわせて1500mほどあったようだが、下部軌道が二級線、上部軌道がそれより劣る牛馬道となっているため、遺構を期待できるのは上部軌道を除いた数百メートル程だろうと思う。

 この路線の詳細は長らく不明だった。安居線の調査中から気にはしていたし、一度は見返りの滝の奥の方に入って行ってみたが、情報不足で遺構は発見できず、(この時は分からなかったが、一部を既に発見していたことを後に知った)特に、安居川を渡っていたはずなのに、橋台や橋脚といった遺構が見つけられなかった。それで、「そもそも広澤線と安居線は索道なんかで繋がっていて、直結はしていなかったのでは。もっと高い所を走っていたのでは」などと考え、調査困難として断念していた。それから時は流れ、次の画像が転機となった。

 この画像は地理院地図(http://maps.gsi.go.jp/)の画像を必要な部分だけ切り出し制作したものである。画像の中心部分に、斜めに一直線の筋がある。これは十中八九インクライン跡だ。更に左下の方に辿っていくと、カーブを3つ抜けたところで川を渡っているように見える。索道ではなく、安居線と確かに直結している。モノクロ画像は、終戦から間もないころに米空軍が撮影したものである。この画像は偶然にも、弘澤線のほぼ真上に近いところで撮影されたらしく、林鉄跡(当時は現役)としてはこの上ないほどに鮮明に道筋が映し出されている。米軍の空中写真は以前より公開されていたが、解像度が極めて低く、とても不鮮明であった。それがいつの間にか改善されたようだ。とにかく、ようやく弘澤線の全容が掴めた。これはすぐにでも調べなければ。

※山行が風の書き方は時間がかかるので戻しました。

 安居線の調査を終えてから久しく安居渓谷には訪れていなかった。随分久しぶりな気がする。国道から分かれ、7キロほど行くと見返りの滝に着く。この滝は初見だと存在にかなり気付きにくい。安居川と直角ではなく、後方から120度ぐらいの角度で合流しているからだ。自分も最初は気づかず、「看板だけある変な所だ」と思った。看板を無理やり入れたので変な構図。

 千仞橋の上から撮影。なぜ正面からではなく、離れた橋の上から撮ったのかというと、滝と軌道跡を一緒に入れたかったのである。そう、軌道跡はこの範囲内にある。と言っても、非常に目立たないので画像での判別は難しい(人間の眼って優秀ネ)。それに、縮小してしまったのでどのみち見えないが。言葉で説明すると、滝の左上の所に石積みがある。観察眼の鋭い人なら、多分それに気づく人もいると思う。「あれなんだろう、遊歩道かな?」みたいな。
 空中写真によれば、安居線との分岐は見返りの滝から少し上流側にある。その方向を観察すると、何かしれっと残っている。
 巨大なコンクリート製の橋脚である。この発見は少なからず衝撃だった。安居林道を調べ始めてから、この道は何度も往復したし、一度は足を止め、弘澤線の遺構を探してみたことがあったから、この場所のことは把握しているつもりだった。予想よりやや上流にあったことと、一度無いと決めつけてしまったことで固定概念が生まれ、そこに存在するものが見えなくなっていたようだ。
 正面へ行ってみると、起点側の橋台も残っていたことを知った。
 下を見ると、起点側の橋脚までもが残っている。向こう側の橋台が残っていれば、フルセットが残っていることになる。橋脚の上面には、木造橋だった証である穴が残っている。
 橋台から下流方向を見る。この付近は安居渓谷のまだまだ入口と言ったところだが、すでに渓谷美が広がっている。奥に見返りの滝が見える。こう見ると、滝から落ちた水が手前の方に流れているように見えるが、上記の通り、滝は安居川と120度ほどの角度で合流している。つまり、川は奥の方に流れていて、滝の下から右の方へ流れている。
 さて、対岸の軌道跡に立ちたいのだが、安居谷はとても深く、降りて渡れるようなところではない。幸い道はある。正面の吹付けの斜面に歩道がある。それを行けば、左岸側から滝の上部に行ける。
 駐車場所を見下ろす。道路はかつての安居線を踏襲している。新旧二本の道路橋があるが、安居線はその間を走っていた。今も片方の橋台が残る。
 山道を五分ほど歩く。
 河原に着く。
 石垣が残っている。下部軌道だ。この石垣はすぐ川沿いにあるので、過去にも目撃したのを覚えている。ただ、石垣は林鉄特有のものではない。道路遺構や廃村や耕作放棄地などにもあるので、これだけではなんとも言えないのだ。それでその時は、確実な遺構として、インクライン跡を初めに探しに行った記憶がある。
 今回はインクラインではなく下部軌道を先に辿ることにした。結構はっきりと軌道跡が残っている。最初からこうしておけばよかった。
 滝と安居川の合流地点の右カーブまでは上々の保存状況だが
 安居川沿いは少し荒廃が進んでいる。
 車を止めた所が見える。向こう側からもこちらが見えるはずだが、あると知っていなければ、軌道跡の存在に気付くことは難しいだろう。この日は愛車は修理中で代車での出動である。
 そして安居川にぶつかり、路盤は途切れる。
 対岸から見たとおり、コンクリート製の橋脚が残っている。残念なことに橋台は残っていない。フルセットとはならなかった。
 斜面を降り、近づけるところまで行ってみる。
 その威容が間近に迫る。林野庁の資料によれば、昭和19年から25年まで運行されたというから、作られて70年は経過している。板枠の跡も生々しく、古い時代の建造であることが伺える。
 上面を見る。起点側がそうだったように、こちらの橋脚にも木を差し込んでいた穴がある。その穴に名も知らぬ木(自分が詳しくないだけ)が根付いている。・・・・根付くのか? 意外と穴が深いのかもしれない。
 対岸を見る。県道と橋台と橋脚の位置関係が分かる。県道(安居線跡)がかなり高いところにあるように見えるが、自分が低い所にいるだけだ。
 ちょうど今こんな所。振り返ると壁があるばかり。
 さて、下部軌道跡は以上である。今度はインクラインを登ってみようと思う。D地点に移動。画像はインクラインの下端部分だが、ピンポイントで路体が崩落している。これがなければ、過去の調査でもインクラインに気づけたかもしれない。
 登るとは言っても、これは大変だ。目の前の斜面はただの斜面に戻っていて、インクラインの痕跡は見当たらない。いや、そもそも最初から遺構が存在しないという可能性もある。
 どういう事かというと、例えばこの画像。とあるインクラインを横から見たものだ(安居ではない)。こんな風に、木桟橋を組んでいたのかもしれない。土木作業が難しい急斜面ではこうするのが手っ取り早いのだろう。伊尾木林道の小川線で見つけたインクライン跡は斜面が滑らかで、直接レールが敷かれていたように見えるが、そういうのは少数派で稀有なのかもしれない。

←(高知営林局「製品生産の変遷」より)
 というわけで、地上に痕跡がないため、かなり勘を頼りに登っている。それでも所々に石積みが残っているので、大きく外してはいないはずだ。この石積みはなんだろう。土留かな? それとも木桟橋を支えていたものかな?
 途中、一直線に木の生えてないエリアがあった。ここにインクラインが敷かれていた? けど、幅が狭いか・・・・?
 しばらく登るとかなり傾斜がきつくなってきて、真っ直ぐ登ることができなくなった。左の画像はすでにインクライン跡を外れていて、少し上流側の尾根状になっているところを登っている。川が左に曲がっている上の辺り。
 しばらく登ると不意に傾斜がゆるくなり、この石垣が目に入った。
 近づいてみると、そこは浅い切り通しになっていた。石垣は斜面を守っているようだ。溝の先はジェットコースターよろしく、谷底に落ち込んでいる。空中写真で存在はわかっていたとは言え、改めてインクライン跡を発見できたのは喜びだった。
 谷底を見る。インクラインは伊尾木の小川線のそれと比べると、かなり傾斜が急だと感じた。あっちは頑張れば登れそうだったが、こっちは見ていて恐怖でしか無い。どれくらい急なのかを写真で表現したかったが、足場も悪く横にずれるのもままならないため断念した。
 上流方向に目を向ける。ここからは上部軌道である。人跡が途絶えて久しいようで、灌木が目立つ。葉が枯れ落ちる冬だからこれくらいで済んでいるが、歩きやすいというほどでもない。
 浅い切り通しを抜けたところは盛土されており、石積みが残る。
 20mくらい進んだだろうか。大きな岩壁が行く手に立ちはだかっている。軌道は崖っぷちを走るようだ。
 ・・・・走るようだ。
 ようなんだけど・・・・・・・・・・・・・・。
 まいった、さっきから全然平場がない。どんなに荒れた路線でも、時たま申し訳程度の平場が現れたりするものだが。ましてや冒頭の写真には、インクラインの先に上部軌道がはっきり写っている。
 あ、でもレール。レールがあるということは、やっぱりここで合ってるんだよなあ。
 それとも上か? 上から落ちてきたのか?
 よじ登ってみたが、わからん。全然わからん。ひょっとして、はじめから路体がないパターンだろうか。
 冒頭のとおり、上部軌道は規格の低い牛馬道となっている。作業道とか、山内軌道などとも呼ばれる。一時的に使うために、かなり簡素な作りになっており、大抵の場合左画像のように、木造の高架となっている。2級線の安居線でさえ、大滝神社周辺ではふんだんに木桟橋を用いていた。格下の弘澤線でそれを利用しない理由はないだろう。

←(高知営林局「治山林道の変遷」より)場所は不明

だが、そんな想像を一瞬だけ真っ向から否定するギクリとするような出会いがあった。
 

 もちろん、トンネルだと思ったさ。でも中は行き止まりで、過去に貫通していた様子もない。ただ、左の壁に石が積まれているので、只の自然洞窟というわけでもなさそうだ。 自分の考えだが、当初は上部軌道も2級線として計画され、トンネルも含む路線だったのではないだろうか。それが何らかの事情で計画が縮小され、上部軌道を牛馬道に格下げして建設されたのではないだろうか。それで、この洞穴は計画変更で放棄された、作りかけのトンネルではないかと。似たような穴が向かい側の斜面にもあったので、遠からずとは思っているが、証明のしようがない。
 その後も上部軌道の痕跡は発見できず、最終的にギブアップを決断した。地形図を参照すると、終点付近を通る山道があるので、上流側から下ってくるという方法も考えられる。後日、実際にその道を行ってみたが、途中が崩落していて進めなかった。どうせ牛馬道だし、大した遺構はないだろうと判断し、弘澤線の調査はここで打ち切ることにした。(イソップ物語の狐だな)


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