 | 今にも頑固親父が飛び出してきそうだ。一応、言い訳できるように地図をひらつかせて、静かに通ってきた。 |
 | しかし、周囲の荒れ具合を見るに、廃屋である可能性が高い。 |
 | この日は人の気配を感じなかったが、本当に誰も住んでいないとは言い切れない。崩れかけた小屋を出ると、その先にも二つの建物が見える。 |
 | A しかしすぐ手前に対岸へ渡る橋があった。 |
 | 河原には壊した橋脚の跡がある。桁は架け替えられたようだ。 |
 | 右の民家の造りが良い。 |
 | 橋を渡ると再び市道に上書きされている。この先しばらく車道化されていて痕跡は少ない。 |
 | B 暫く行くとあるのが影野橋。軌道の痕跡は見つけられなかった。 |
 | C 先をゆくはF氏。安芸線第二回と同日である。右手にコンクリートウォールがあったが、 |
 | 上部が反っている。トンネルの跡だろうか。
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 | 橋の名前は覚えていないが、 |
 | 近くの斜面に見慣れたコンクリート棒が放り上げられていた。 |
 | D 暫く行くとトンネルがあった。トンネルを通らない平場が見当たらなかったため、桟橋を築いていたのでなければここにも小さなトンネルが穿たれていたことになる。 |
 | E 軌道はまたしても川を渡って逃げてしまう。橋台はあると知っていなければ見つけるのはかなり難しい。 |
 | 自分も時間にあまり余裕がなかったことから、一度では見つけられなかった。そのためこの区間だけ反対側から逆行してきた。写真は帰りに撮ったもの。 |
 | 右岸の橋台は目では見えるが写真には写せなかった。 |
 | 一キロほど行くと別役橋という橋がある。 |
 | F その袂に路盤が出てくる。 |
 | 入って行くとすぐ左手に吊り橋の支柱が残っているが、軌道との関連はないと思われる。この付近に別役鉱山なるものがあったらしく、そこへのアクセス路だったのではないだろうか。 |
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 | 数分後、路盤が大きく崩れ落ちた所に出た。 |
 | よく見ると、斜面の中からレールと枕木が飛び出しているのが見えた。おそらくここも現役当時のままレールが埋まっていることと思われる。 |
 | また近くの斜面に曲がったレールが放り上げられていた。鉄砲水か土石流で破壊されたのだろうか。 |
 | 曲がったレールが谷へ垂れているので、ロープ代わりに使える。 |
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 | 枕木の残存を確認。 |
 | 谷と橋台。 |
 | 石の積み方が雑なのは支線だからか、50年間の放置のせいか。 |
 | 枕木と軸受の蓋のようなもの。 |
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 | 右カーブと枕木とF氏と。 |
 | 路盤に生えた杉は、既に人の胴より太く成長している。 |
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 | 橋の跡は三箇所あった。ここが最後。 |
 | 比較的豊富な水量があるが、向かい側の橋台は完全に近い形で残っている。 |
 | 一方手前の橋台は跡形もなくなっていた。 |
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 | G ジャンプ台がキタ。 |