伊尾木林道伊尾木線/別役線跡14(最終)


 壊れず完全に残っていた。先端へ歩みをすすめる。
 対岸に二本の電柱とカーブミラーを認めた。この段階で初めてどの位置にいるかを把握した。
 河原に降りてみる。橋台は二段構造になっていた。角が尖っていて美しい。
 左岸の橋台もきれいに残っている。
 上の写真を上部から見たものが左のコレである。道路にかなり近い部分に残っていたので、まさかこんな所にといった気分であった。
 別役橋に戻った。この先の軌道は終点に至るまで道路に上書きされていて痕跡はない。
 A
 別役。コミュニティーバスもここが終点である。この左手上部に後方に向かって久々場林道という車道が走っている。実は軌道にも久々場山線という支線があって、延長がこの林道と近いことから、この林道が支線の跡なのではないかと思っているが、ひとつ、途中に長大なトンネルがあるため、確信に至っていない。
 B
 別役公民館周辺。この施設を利用するのは一体何人だろう。
 途中から勾配がかなり急になっている。自転車で登るのがきついぐらい。本当にここが軌道だったのだろうか? 川手に平場は見つからなかったが、ひょっとしたら山手に地図にないつづら折りでもあったのか。それとも空トロを引き上げるだけならこのぐらいの勾配でも平気だったのか。
 C
 土居の集落。地図から読み取れる軌道の終点はここだ。そこには軌道に関係ありそうな何かは見つけられなかった。石段が続いている所には建物でもあったのだろうか? 現在でもこの集落には最低一人は住民が残っているようだ。この先車道は思い出したようにヘアピンを繰り返して高度を上げ、駒背越隧道で徳島へ抜ける。最後が尻すぼみになってしまったが、二年を掛けた伊尾木林道本線と別役線の調査の終わりである。
 終わりに写真を見つけたので紹介する。西坂本橋の木造時代の写真である。撮影は大正時代だそうだ。キャプションに坂本橋とあるのはミスだと思う。多分、旧制度中に版権切れになっていると思うので載せた。クリックで拡大。
 完全に余談だが、西坂本橋があるなら"本"坂本橋もあるのかなと思って行ったら、少し上流にあった。
 銘板には83年とあるが、それ以前にも橋があったのだろう。改名しても意味が無いだろうし。
 鉄筋には古レールを使っており、そこかしこから頭をのぞかせていた
 おまけ。Google earthで33°29'43.74" N 133°55'43.32" Eを開いてほしい。田んぼの境界が斜めになっているのは軌道が横切っていた名残かもしれない。

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