伊尾木林道伊尾木線/別役線跡6


 A
 畑を過ぎて維持管理されていないらしく荒れている。
 幾箇所もの崩壊した斜面が待ち構えている。
 所々に枕木が露出していて、降り積もった土砂の高さがわかる。
 何だコレは!? 狭い、狭いぞ!
 これは遠近感によるものだけではない。手前から奥に行くに連れて狭くなっており、一番狭いところでは人一人分しかない。桟橋を築いていたのだろうか?
 B
 右手のみかん畑と、行く手の小屋が見えてきたら、そこは障子薮である。
 C
 障子藪には、有名な遺構として眼鏡トンネルがあるのだが、片方の坑口の位置は悪いことに埋れている。そればかりか、坑口の前の広場を埋め尽くし、下のみかん畑まで達している。この日の探索で、通り抜けるのに一番冷々したところだ。
 よじ登ってみると、トンネルの上部の石積みが見えた。胸壁と言うのかな・・・・? その辺は余り良く知らない。
 さらに接近すると、辛うじて上部が開口していた。ここを降りる事も不可能ではないが、ここを通らなくても簡単に向こう側に行けるので、そうする。
 すぐ側にあった電信柱。大井分 四九号?
 野猿・・・・・じゃないよな。傾斜がきつすぎて人力じゃ登れそうにない。畑に物を運ぶ用の簡易索道。
 この小屋が建っている部分はかなり敷地が広くなっているが、何か施設があったのだろうか。
 ここにも橋の跡。
 木の枕木と同じ間隔でボルトが刺さっているが、PC枕木なんて使ってたのかな?
 D
 急なカーブを過ぎると、眼鏡トンネルのもう片方の坑口が現れる。手前のやつが新線。こっちが旧線なんだと思う。それにしても、随分ワイルドな坑口だな・・・・
 トンネルを抜ける前に、川沿いに奥へ続く平場が気になる。旧々線か? 見に行く。
 ・・・・違げっかな?
 狭い。違うな。
 E
 このへんが広い。集落の跡なのだろう。そういえば、障子藪という字がある割に、周囲に人家が見られない。多分、ここにあったのが障子藪の集落だったのだろう。人々がいなくなって、地図にのみその名前が残ったのだろう。ひょっとしたら、先ほどあった広場は、簡単な駅だったのかも知れない。伊尾木林道は2級線だが、割とどこでも一般人を便乗させるのが横行していた。
 ほいじゃあ、行きますか。

 A
 内部は言うまでもなく暗い。しかし、出口が見えているので不安はない。入り口の形に比べ、出口のシルエットがやけに普通。壁は石積み、天井はコンクリート。こういう施工は多いのかな?
 早くも出口。だって短いんだもの。しかし、このトンネルのおかげで軌道はかなりのショートカットに成功している。新旧の坑口がかなり近接した位置にあるので、めがねのよう。隧道探訪の掲示板には1992年に撮影された坑口の様子の写真がある。
 新線のトンネル。物置になっている模様。あまり面白くなかったのか、これより内側を撮った写真がない。やはり坑口が半分くらい埋まっているが、這い出すくらいの隙間は開いている。
 坑口前より、進行方向を見る。この障子藪を境に、軌道はガラリと性格を変える。
 この地図は国土地理院発行S32年版「手結」より。クリックで拡大。地形が一層険しくなり、トンネル銀座が始まる。
 放置レール。かなりサビサビ。
 B
 橋。この付近の軌道は、現在も公道として点線で描かれている。
 150キロは金網の強度だと思う。
 桁と橋台がしっかり残る。
 C
 上の写真にも写っているが、県道のある対岸へ吊り橋が架かっているので、障子藪のトンネルだけ見たければここを渡って来た方が早い。
 地図に描かれているのはこの吊橋から畑のあたりまで。トンネルもきちんと描かれている。
 また日付変わる。吊り橋を過ぎるとやはり荒れている。
 D
 程なく橋がある。上に剥がした枕木を大量に敷いているが、歩けるようにしていたのだろうか?
 ガララ・・・
 電線の管理のために枕木を並べていたのだろうか?
 開けているが、ガレているので歩きにくい。
 E
 軌道が大きくカーブしている。対岸の県道が正面に見える。
 土砂崩れに倒木が加わると難易度が上がる。
 そろそろ次が見えてきそうだが・・・
 をっ!

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