伊尾木林道伊尾木線/別役線跡9


 A
 小屋のあった広場から山道を下ると、建物のすぐ近くへ降りられた。この建物の専用道らしい。間近に見えてきた建物は、宿舎とそれに付随する建物のようだ。まずは手前の左の建物から。
 風呂。なるほど、お泊りするのに風呂に入れないのは嫌だろう。なら隣はお便所か?
 また風呂。よほど風呂が好きだったらしい。
 そして宿舎らしい建物。年数の割に痛みは少なく見える。
 失礼。
 失礼。電気は来ていたらしい。
 失礼。保線道具でもないかと思ったが、特に手に取って見たいと思うような物は無かった。椅子の上に乗っているのは測量道具かな?
 壁にかけてあった、工事現場や作業所ではお馴染みのアレ。フォントとかイラストのタッチが同じなんだが、手作りじゃなくてメーカー品なのかな?
 懐かしい缶達の集い。大多数を占める紫のやつはファンタグレープ(250ml)。間違いでなければ、このデザインは74年以降の物なのだが、軌道な廃止は60年代である。軌道が無くなっても暫くは役目を失っていなかったらしい。
 B
 ガサ入れ終了。左は切り通しになっているが、右に旧線が続いている。
 切り通しは深くて長い。トンネルにしても良かった気がする。
 反対から。
 こちらは旧線。色々な資材が散乱している。
 283ホ3とは何のことか。
 電柱が倒れている。先ほどの建物に電気を送るための電柱だろう。
 岬の先を回ると伊尾木ダムの堰堤が目に入った。
 振り返れば奴が新線の切り通し。
 漠然と不安なのだが、堰堤の先へ行けるのだろうか。
 C
 本日の八本目。
 やはりトンネルを迂回する旧線がある。そうか、このトンネルで堰堤を迂回しているのだな。
 長い・・・・。
 洞内はゴミが非常に多い。そう簡単に来られる場所では無いので、ダムか林道のゴミということになる。
 どういう訳か出口付近に土砂が盛られている。落盤や崩壊でできたようには見えなかった。
 ひどゐ。
 これはちょっと・・・・・
 抜け出せないなあ・・・・。それに後ろ、モロ管理施設っぽいのだが。
 やはりこっちへ行くしか無いか・・・・。
 前の写真にも写る石碑はダム建設中に出た殉職者を弔うもの。
 どう見ても敷地です。しかし、立ち入りを制限する障害物も注意書きもない。
 これを渡ったら県道に出れんかな・・・・?
 日立造船は水門・鉄管メーカーとして100年を超える歴史がある。
 そして辿り着いた。封鎖と言うより、落石覆いだったのか。
 このすぐ左手はダムの建物になっている。人が出てこないかビクビク。
 ドキドキ。
 うむ?
 あ〜・・・・・。下流から来たからセーフ。そうだと言って。
 D
 キタキタキタキタ
 ダム湖に今も残る橋梁の跡。
 ブレていてよくわからないが、加勝谷橋というのだろう。近くに同じ加勝の名を冠した林道がある。この名前はネット初登場だろう。ムフフ。こちらにも西田鉄工の名前。昭和五年の製作となっている。
 今までの薄っぺらな橋とは重厚感が違う。
 遠くに見えるは県道の橋。手前の建物はダムの管理事務所。普段職員はこの建物に詰めているらしい。
 上流側の桁は消失している。おなじみの空中写真を見るに、昭和50年の時点で無くなっている事が確認できた。かつて、この橋を渡ったすぐ先のところから支線が分岐していて、現在では車道化されているが、その際に橋台ともども撤去された可能性が高いと自分は踏んでいる。果たして真相は?
 この一枚だけ季節が違う。
 完全に残っていればよかったのだが、惜しいな。
 E
 林道の車道化工事で削った岩石が落ちてきたのか、ゴツゴツと大きめの石が転がっていて歩きづらい。
 歩きにくいので上の林道に逃げることにする。もとは西ノ川線といった。詳細はいずれ調査しようと思う。。
 F
 やがて県道に合流する。軌道が車道に転用されている。
 来た方はこう。先ほど述べた通り、登っていく車道は支線であり、今調査している本線は左の下の方を通っている。
 右へ曲がると橋の上から見えていた県道の橋。美舞橋といい「みまいはし」と読む。
 橋の上からダム湖と加勝谷橋を見る。

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