一の谷林用軌道岩茸線その1



 

 一の谷林道には、岩茸線と大師谷線という2つの支線がある。そのうち大師谷線は、本線格の一の谷と直接接続されておらず、索道で連絡されていたという特異点はあるものの、延長が1キロに満たない小振りなものであるから、やや物足りない感がある。支線らしい支線といえば、やはりこの岩茸線である。

 岩茸線の延長は五キロある。現役期間は林野庁のPDF(国有林森林鉄道路線一覧表(R2年5月版))によれば、昭和15年から31年の16年間である。一方、森の轍では、撤去を昭和41年としている。これは、2級線だった期間が16年で、昭和31年に牛馬道に降格されたというのが真相のようである。路線名である岩茸とは、近くにある岩茸山から来ていると思われる。一般の地図や地形図には記載されていないマイナー山なので、自分も調べてみるまでは知らなかったが、東門山の南にある1175mの三角点のすぐ東のピークがそれらしい。本川にも岩茸山があるため、瀬戸岩茸山と呼び区別されている。

 岩茸線が分岐していたのは、起点の土場から直線距離で5キロ弱、川奈路地区の少し南西のところである。地形図で言えば、427mの標高点の直ぐ西の辺りである。その付近で一の谷線と分かれ、しばし並行した後、瀬戸川を渡って東門山の南側の谷(地形図に記載がないので名前がわからない)沿いに入る。途中にはインクラインがあり、下部軌道と上部軌道に分かれている。インクラインで150mほどを駆け上った上部軌道は右岸をさかのぼっていく。途中で左岸に渡り、つづら折りで標高を稼いでいた。再び右岸に戻ったところで終点となる。

 一の谷線の項で軽く触れた通り、岩茸線の遺構のいくつかは発見済みである。それらは想像以上にしっかりとした遺構だっため、「一の谷線よりもよっぽど見どころがあるんじゃないか」と感じた。その予感は自分の期待を超えて的中することになった。

 



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  本格的に調査を始めたのは2020年3月からだが、一の谷線の調査中から下見程度に見ていたので、実質的には2020年1月から調査を始めている。
 一の谷線でも軽く触れた通り、分岐地点を含む区間が県道に踏襲されているため、正確な分岐地点は特定できていない。A地点が広場になっているようなので、そこが分岐地点で、一時的に木材を貯めたり編成を組み替えたりするような所になっていたのではないかと考えているが、確認はとれていない。


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 県道を暫く進むと、車道の分岐がある。その反対側を写したのが左の写真だ。この時点では岩茸線の痕跡には気づいていなかったが、下記の通り、この部分から岩茸線の平場が現れていたようだ。ちなみに、これより手前の部分では遺構は見当たらなかった。


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  県道を進んでいくと、程なく一段下に平場を見つけた。最初に気がついた岩茸線の痕跡だ。


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 降りてみる。どの部分から残っていたのだろうかと遡ってみると、2個上の写真で見下ろしている辺りだった。残存している中では最も起点側の物になろうかと思う。この時点で比高が結構大きく、だいぶ手前から分岐していたことが伺える。あるいはこれ(岩茸線の平場)が一の谷線の跡ではないかと考えたこともあった。しかし、そのような痕跡はかけらも見つからなかったので、可能性はかなり低いだろう。


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こちらが進行方向。奥には切り通しが見えている。縮小したのでかなり分かりにくいが。


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切り通しと言うより溝。風化して土砂が流れ込んでいる。


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 土砂の山を乗り越えると、その先はだいぶ風化しており、路面が川に向かって傾斜している。


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その近くでレールを見つけた。そういえば、一の谷線では最後までレールを見なかった。それが、遂に今ここに。


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その先、軌道跡は一旦斜面に還っている。県道が近い位置を通っているので、造成工事の影響だろう。


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 その後はまた軌道跡が復活する。そこには橋の跡が残る。地面の色と同化している。


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高い所からの俯瞰。起点側の橋台はよく残っている。終点側画像は半壊状態。


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上を走る一の谷線跡の県道(赤いライン)はヒューム管に置き換えられており、橋台は残っていない。この時点で10mほど上方を走っており、結構なペースで坂を登っていることが分かる。赤丸の部分にも石積みが残っている。まさかの一の谷線のつづらか!?と思ったが、流石にヘアピンを置くにはスペースが足りなすぎるので、土留かせいぜい人道用のものだろう。


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橋の跡を過ぎると、かなりハッキリ平場が残っている。岩茸線の序盤では一番状態の良いところ。


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状態が良いのは一瞬だけ。そこを過ぎると、序盤では一番状態の悪い区間に入る。


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ただそれも一瞬である。一の谷線でも軽く紹介した通り、すぐに瀬戸川を渡っていた橋の橋脚が見える。


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 橋脚は二基ある。遠目に見ても違和感があったが、手前の方の橋脚は下流側に大きく傾いている。


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・・・だけじゃなく、中央に向けても傾いている。それでいて、橋脚そのものに損傷はないようである。この画像だけ見せられたら、最初からこうだったと信じてしまいそうである。この橋脚は大きな岩の上に立っているのだが、岩ごと傾いてしまったらしい。損傷がないのは、目地をセメントやらモルタルで固めてあるからだろうが、ヒビ一つすらないとは、支えになる芯も入っているのか?


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 上流方向を見ると、石を投げれば届きそうな所に砂防ダムがある。現役時代にはなかったものだ。昭和50年頃の空中写真にも写っていない。昭和58年完工の瀬戸川堰堤(参考)だと思う。これが原因で傾いたのかもしれない。この岩は川に沈んでいるだけで、根っこがないのだろう。その巨体故に長年安定を保っていられたが、砂防ダムで下流に砂利が供給されなくなり、川底が急速に痩せていき、沈み込むように傾いたのだろう。


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 起点側の橋台跡。跡形もなく崩壊している。手前の路体もごっそりなくなっていた。地すべりでも起こったのだろうか。転がっている石は橋台のものだろうか。


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これは左岸側の橋脚。こちらは岩ではなく、陸地の岩盤の上に建てられているらしく、びくともしていない。終点側の橋台はこの位置からは確認できない。残存していないのか、あるいは影になって見えないだけか。

 さて、軌道は川の対岸に続いていたわけだが、ご覧のとおり、対岸の岸は切り立っており、登るのは難しそうだ。それに、川が深い淵になっていて、飛び石を辿っていくのもリスキーだ。地形図画像に上流に橋が描かれていることも知っていたので、あえてここを渡ろうとは思わなかった。ただ、後述するがこの橋は渡らない。
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  県道を上流方向へ向けて進んでいくと、途中に大きな鉄塔がある。それを過ぎると間もなく画像のような木製の案内看板画像が立っている。そこのガードレールの切れ目が橋へのアクセス口画像である。


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 下っていくと、鮮明に踏み跡画像がついている。木製の看板に記されていた名所?も、これを通って行くのだろうか。やがてワイヤーが張られているのが見つかる。吊橋らしい。


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  予告通り、この橋は渡らない。と言うか渡れない。踏み板が全部腐り落ちている。後に四ツ堰の滝(看板の二段目画像のやつ)について調べてみたところ、2008年頃にこれを通って見に行った記録が見つかったので、その頃まではかろうじて渡れる状態だったらしい。ただ、既に通行止めの状態だったのを自己責任で渡ったらしく、その時から老朽化が目立っていたようだ。それからさらに10年も経てば、落ちても仕方がないということか。
(参照: http://88taki.web.fc2.com/yotuzeki.htm )


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 関係者は渡れるらしい。超人か(違)。
 昭和41年といえばもう半世紀前だ。なんの手も施さずにそれだけ保つとは思えない。昔は定期的に修繕されていただろう。ちなみに米軍の空中写真にも橋らしきものが写っているので、この橋は少なくとも二代目以上の橋だったようだ。一の谷線の終点側と岩茸線を短絡する役割があったと思われる。



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 以上、右岸側については、2020年1月ごろに一の谷線と合わせて調べてしまった(一部の写真は後で撮ったものも使っている)。対岸へのアタックは3月に入ってからである。1月中にこの橋が使えないことを把握していたので、本調査に入るに当たり、別のルートを検証していた。地形図を見ると、東の集落(川奈路)から歩行路が伸びているが、あまり上等な道だとは思えないし、大迂回となるので、できればこの近辺で川を渡りたい。空中写真を見ると、吊橋と砂防ダムの間が長い河原になっているのが読み取れる。砂防ダムで堰き止められた土砂で形成されたのだろう。ここは水深が浅く、流れもそう早くなさそうで、渡渉可能と踏んだ。


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 前回と同じルートを使い通り吊橋(跡)へ。吊り橋の根際からさらに斜面を下っていく。心許ないが、踏み跡のようなものがある。獣道か川遊びの人がつけたものだろう。


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 程なく瀬戸川の縁まで下りてくる。このまま河原をてくてく歩いていく。


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 振り返ると吊橋跡。ちなみに2020年3月頃までは、中央付近の踏み板は残っていた(F地点の写真は10月のもの。定点観測をしようと思ったら、F地点と同じ構図の写真を10月以前には撮っていなかったことが発覚)。渡れる状況ではなかった、というのには変わりない。地面からの湿気の影響が大きく、山や木の影で乾きにくい両端部分が先に脱落したようだ。


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 対岸には岩茸線の石積みが見える。適当なところで川を渡ってよじ登れば軌道跡に復帰できるという寸法だ。


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 砂防ダムの手前まで来た。小さいダム湖がある。あそこまで行ってしまうと水深があるので渡れなくなってしまう。手前で川を渡る。


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 変☆身
 インチキ胴長おじさん登場


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 水遊び楽しいな。


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対岸にたどり着いた。思惑通り水流は遅く、体が持っていかれそうになることはなかったが、意外に水深が深いところがあって、そこは少し焦った。ぶっちゃけあんまりスマートな方法ではないので、真似したり他の場所で試すのはおすすめしない。ホントはパーティーでも組んで、ゴムボートなりを持ち込めればよかったのだろうが、付き合ってくれそうなヒトがいなかった。この頃はコロナの流行り始めで世間が焦り始めていた頃なので、他人を誘うような状況でもなかったが。
 その後は青矢印の通り斜面をよじ登った。


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  無事、軌道跡に復帰。まずは中断点を確認しに行く。


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 砂防ダムはもう目と鼻の位置にある。まずいことに、軌道跡より堰堤のほうが高く、分断されていることが確実だ。乗り越えられなければ、左岸側の橋台は非常にめんどくさくなる。


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 幸い樹木が多く、堰堤も階段状になっていたので、さほど労せず昇れた。


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 堰堤の直前まで平場が残っている。


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 堰堤と言うだけに、高さはそんなにない。(高いものがダム、低いものは堰堤と分けられる)


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 下流方向。傾いた橋脚が見える。左岸の橋脚は木の陰で見えない。


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 こちら側も階段状になっているので下りられそうだ。


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 下りた先はひどいスズタケの海だった。一の谷では縁が切れないね、スズタケとは。この状況なら、川奈路から山道を迂回しなかったのは正解と言えるだろう。


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 橋台は現存していたが、藪のせいで全容を掴むのは難しい状況だった。


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 欠損はなく、状態は非常に良い。


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 橋脚もすぐ目の前にある。先程対岸からこちらを見たとき、橋台の姿が確認できなかったので、終点側の橋台も残っていないのかと思っていた。だから、しっかりと残っている上に、橋脚にかなり近い位置にあったので少し驚いた。ちょうど重なり合っていて見えなかったのだろうか。




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