一の谷林用軌道一の谷線その4



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 これより黒丸地区までの4〜5キロは、県道6号高知伊予三島線に転用されている。一の谷線の遺構はしばらく姿を見せない。県道に転用された区間では遺構を見つけるのは難しいと思われるので、発見が期待できる場所をピンポイントで調べていくことになる。


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 先述(前ページ)の通り、この付近から支線が分かれていた。名前を岩茸線という。正確な分岐点については、車道化されていることもあって特定できなかった。少し行くと県道の一段下に平場が並行しているが、これが岩茸線のものと思われる。岩茸線はしばらく一の谷線と並行し、やがて左岸に渡る。そこには大きな橋脚画像も残っている。探索済みなので、いずれ紹介したいと思う。


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 ちなみにその橋脚は、このカーブミラーのところから見下ろす事ができる。


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 一の谷線の久々の遺構は、上のカーブミラーを過ぎて程なく、橋の横に橋台を発見できた。終点側は失われている画像ようだ。


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 それならその次も、と言いたいが、その次の大きな橋のところでは、残念なことに遺構は残っていない。谷底に散らばった石画像は、かつて橋台の成れの果てだろうか。


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 次に遺構を発見できたのは、しばらく進んで下瀬戸地区のやや南だった。ここは芥川川の一個手前の川にかかる、名称不明の橋。撮影方向は逆。



 橋と砂防ダムの間、黄丸の位置に橋台が残る。


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 接近を試みるが、藪が強くて断念。横から見た感じ、形はしっかり残っている。終点側画像は崩壊したようだ。


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 更に進んで芥川川の橋の手前。県道は芥川川の入り口を橋で一跨ぎしているが、軌道は一旦芥川川の方に入り込んでいる。


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 県道から外れるとすぐ、コンクリート製の建屋がある。芥川警報所とある。洪水の監視をするための施設だろう。軌道跡に建てられていると思われる。


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 建屋の脇から川に降りられる。画像の右端に見切れているのは県道6号の橋。画像の中央部分、お分かり頂けるだろうか。


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 人工的な窪みが設けられている。方丈橋の斜めの橋脚を差し込んでいた痕だ。


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 芥川警報所はその真正面に建っている。軌道の築堤を転用、拡幅したようだ。そう言えば窪みに気を取られて忘れていたが、終点側の橋台はあるだろうか。画像では確認できないが、ひょっとしたら藪の中にあるかも。


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 そこからまもなく、緑色の橋に着く。黒丸橋である。軌道もここに橋を架け、川を渡っていた。案内看板画像の通り、橋を渡ると黒丸地区に入る。稲村ダムや瀬戸川渓谷もそちら側にある。県道6号は川を渡らずそのまま右岸を進んでいる。県道を進み続けると、郷の峰峠を超えて鏡村、鏡川橋北詰(本宮町交差点))へ至る。


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 軌道を撤去してから橋を架けたのか、周囲に橋台は見当たらない。橋の横に古い石積みがあったが、軌道由来のものかは判断しかねる。


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 左岸に渡ると今までとは打って変わり、かなり勾配が増した。この急坂では機関車で牽引するのは難しいのではと思えるほどに。


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 昭和20年代の空中写真を持ってきた。橋を渡って一旦右に曲がっているように見えなくもない。勾配を緩和するために遠回りしていたのだろうか?


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 調べてみた感じでは、橋の袂は小屋掛されているし、その後ろはスズタケが広がる斜面画像があるだけで、軌道が敷かれていたような直接的な痕跡は見つけられなかった。ただ、傾斜は比較的緩やかで、ヘアピンカーブを作ることは不可能ではないと思われる。あまり深く調査しなかったので、範囲を広げればひょっとしたら見つかったりするかもしれない。


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 黒丸集落に入る。この集落は斜面に広がる集落で、この付近は最下層である。道路の右側、短くガードレールが設置されているところは画像になっている。石積み画像が見えるので、軌道由来のものだと思われる。


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 その先は集落内を走っている。集落を過ぎると、またしばらく進んでいく。町道は集落を過ぎた所から林道へ変わる。


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アメガエリの滝の駐車場画像のあたりから、また少しの間軌道跡が残っている。分岐地点についてはよくわからない。車道を造成した際に嵩上げされているはずだ。軌道は遊歩道と林道の間を走っていた。画像左端、白っぽく見えるところがアメガエリの滝画像だ。アメとはアメゴ(アマゴ)のこと。アメゴが登れないのでアメガエリ。いわゆる魚止めの滝。


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 遊歩道から見上げた位置に暗渠付きの石積みがあった。実のところ、初めは上の車道か遊歩道が軌道跡なんだろうと思っていた。偶然これに気付いたので、正確な軌道の位置がわかった。予想外に明確な遺構が残っていたのは嬉しい誤算だった。


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 林を抜けると景色の良い所に出る。一応この辺が瀬戸川渓谷観光の中心部だ。刈払など景観を保つ活動に余念がない。ただ中津や安居などと比べてマイナーなためか、出店はおろか自販機すら無い。このあたりで一時、軌道跡がわからなくなる。林道の造成で飲み込まれたのだろうか。奥の方では再び路体が現れる。


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 遊歩道を進んでいくと、小さな橋がかかっている。その横に石積み画像が見える。軌道はその上を走っていたようだ。


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 その先の大きな岩の下に石積みが見える。


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 対岸に行けるように吊り橋がかかっていた。案内看板画像によると"ぶらぶら橋"という。そこから斜面全体が見渡せた。離れて見ると、意外と軌道跡がはっきりわかる。パノラマ合成しているので画像の真ん中あたりの次元が歪んでいる。


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 斜面に張り出している建物は展望台である。そこからは軌道跡が真下に見下ろせる。景色を見ずに下を見る(笑


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 展望台をすぎると、遊歩道で一時分断画像されているが、その先にまた路体が確認できた。


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 幾ばくも進まないうちに、建物に遮られた。建物の後ろには路体は見つからなかった。古地図画像を見ると、付近につづら折れがあったことが示されていた。多分、この建物があるのがヘアピン跡だろう。地形図からはここも含め、六ヶ所のつづら折れがあったことが読み取れる。ちなみに建物の正体は公衆便所。


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 建物(第一ヘアピン跡)と第二ヘアピン跡の間は林道に貫かれており、著しく改変されている。


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 進行方向を予想しつつ斜面に上がると、無事平場の端を見つけられた。左手の高いところにも、石積み画像がある。第二ヘアピンを通過し終えた三段目の部分だろう。


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 第二ヘアピンは展望台のほぼ正面に残っていた。ヘアピンカーブは過去に何度も見てきたが、このヘアピンはそれらと比べ、一回りほど小さく見える。それでいて勾配は急な感じだ。


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 黒丸橋を渡ってから、目に見えて勾配が増したように感じていたが、ここでも改めてそう感じた。この急坂と急カーブは動力車の入線を想定していないのではと思える。安居林用軌道などは末端の区間は手押しのままだったらしいが、ココもそれと同じだろうか。


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 左の画像では、路面がかなり傾斜している様子が見て取れる(やや奥の方)。築堤が風化して山なりになったものかとも思ったが、はじめからカント角を大きくしていたのかもしれない。今までにも若干カントが付いているようなところを見た気がするが、ここまで角度はついていなかったと思う。まるで特急列車が走る線路のようだ。


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 ヘアピンの先は、先ほど下から見えた石積みの上を通り、暫く先に続いているが、程なく斜面と同化画像してしまう。


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 このまま道路に吸収されるかと思ったが、その先にも橋台画像が残っていた。


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 数メートルの距離をおいて、二本の橋が連続画像していたようだ。


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 以降は遺構は見られず、林道も急な勾配で登ってきていることから、どうやら完全に林道に飲み込まれたものと思われる。




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