一の谷林用軌道一の谷線その5



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 引き続き林道に転用された軌道跡を行く。地形はかなり急峻さを増している。ここからしばらくの間が、調査の難しさを感じた部分だ。
 途中に杉ヶ谷橋画像という大きな橋が架かっていた。


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 起点側に分岐は見当たらなかったが、向かい岸に平場がある。


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 ぱっと見橋台が見当たらなかったが、谷まで降りてみると、起点側の橋台が見つかった。


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 橋の右側、一段下のスズタケに覆われた部分が軌道跡だったようだ。


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 終点側画像の橋台は岩塊を利用していたようだで、あまり橋台らしい形では残っていなかった。 


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 また暫く行く。第3第4ヘアピンがある。大きく壊れたガードレールが目印。


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 一段下がった所に橋台がある。


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 そのすぐ先にヘアピン跡がある。ヤブに覆われ、半分ぐらいを車道が占拠しているが、弧を描く平場が残っている。


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 第三ヘアピン跡地。


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 3,4ヘアピン間。車道化で痕跡はゼロ。 


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 第4ヘアピンはこの斜面の上部にあった。撮ってもスズタケしか写らないので省略。 


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 左画像は第4ヘアピンで折り返した三段目の部分。ここもスズタケの海だったが、潜ってみると浅い掘割と言うか溝状になっていた。その先はすぐに林道に踏襲されていた。


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 四ヘアからまもなくトンネルがある。名前は一の谷トンネル。銘板画像には昭和61年とあるけど、林道自体は軌道の代替として建設されただろうから、かなり早いうちに完成していたはずだ。実際、昭和50年代の空中写真に写っているし。恐らく、素掘りだったものを、その年に改修したのだろう。奥の稲村ダムと関係ありそうだ。


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 トンネルの手前、崖沿いに道がある。これが軌道跡だ。これを進むと、支線を合わせても一の谷では唯一となるトンネルが眠っている。路線は極力、大規模な橋やトンネルを作らないように建設されたと思うが、ここは岩壁が川にせり出し、奥安居を彷彿とさせるような断崖画像になっている。トンネル無しでこの斜面は突破できなかったのだろう。


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 扉が設置されているが、見掛け倒しで役目を果たしていない。ここは「隧道探訪」を運営するマフラー巻き氏が、平成16年に訪問し詳細を伝えている。15年ぶりに内部が暴かれる。 


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 いざご開帳。非常に荒々しい岩石質な壁面が広がっている。出口が見えず、かなりの右カーブを持っている。マフ巻氏のレポでは、内部に木製の謎構造物があったようだが、今はもう床に広がるおが屑となっている。代わりにアルミ梯子が増えている? 謎メッセージ画像も健在。やや薄くなっているが。


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 出口は塞がれている。


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 覗き窓から外を見る。出口の前には平場があるが、その少し先で落ちてしまっている画像。危ないから塞いだのかな?


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 トンネル内にあった工事用立て看板には地元建設会社の名前が。隣の道路トンネルの銘板にも同じ名前が書いてあった。現物支給でこのトンネルを譲ってもらったのかな? 全く錆びてないし、左のファンタのボトルは結構最近のだったような。忘れられた場所ではないみたい。


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 反対側に移動。ここもトンネル口のすぐ横に平場がある。H16と比べると、入り口の土砂が均されているような。


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 数十メートル行くと塞がれた坑口が見えた。ただ、のぞき窓から見た通り、手前の部分が欠損している。頑張ればいけるかもだが、特に何か残っている感じではなかったので引き返した。


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 ちなみにこれは隣の道路トンネルの壁面。型枠の跡がくっきり。トンネル内にかなりの勾配があることがわかる。軌道はやや遠回りしているので、これよりは緩くなるが、やはり結構な勾配があるのがわかる。


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 一の谷トンネル出口。


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 トンネルを過ぎてしばらく行くと、道中に鳥居がある。地図を見ると対岸に神社がある。橋が壊れていて行けなかったが、石段が下の川まで伸びており、山奥の神社かと思ったが意外に立派な神社だったようだ。この鳥居の前で道路の勾配に変化が見られる。3つ目のつづらも近い。
 この近辺が、最も調査の難しいと感じたところだ。


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 近辺は非常に傾斜の急な所。軌道跡を嵩上げしたらしく、なかなか平場が見当たらなかった。しばらく道路下に注目しつつ行くと、谷川を越えるところで橋台を発見。


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 橋台近影。残っているのは起点側だけらしい。終点側画像はそれにつながる平場ごと消滅している。


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 上記の通り、軌道跡はその片鱗を一瞬見せただけで、再び姿を隠した。次に軌道跡が確認できたのは、砂防ダムのある大きな谷画像の近くだった。google mapにも表示されている大きな谷である。ヘアピンが近いらしく、上下二段の平場が同時に現れていた。


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 そこから進むと、まもなく谷川にぶつかった。崩れかけの橋台のようなものが一基残っている以外に、人工物は見受けられなかった。上の段との高低差を考えると、ここがヘアピン跡だったはずだ。一旦谷を渡り、渡った先で90度方向を変え、すぐにまた90度折れ、川を渡って180度転回していたと思われる。安居林道の末端部や伊尾木の仙谷線などでよく見たパターンだ。林鉄では普遍的に見られる線形だ。


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 第6ヘアピンに向かう軌道跡。こんな急峻な所によく軌道を通したなと思う。


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 杉葉に覆われた斜面まで追えたが、そこで軌道跡を見失った。この先、飛び石的に平場が残っているかもしれないが、流石に面倒くさいので上の林道に上がった。


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 その次、道路沿いのコンクリート擁壁の上に石積みが見える。車道からすぐ見える位置にあるので、以前から通りすがったときに発見できていた。


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 登ってみると、やはり平場だった。下り坂になっているので、第6ヘアピンを通過した三段目の部分だと思われる。


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 下っていくと、谷川にぶつかった。橋台のあった谷である。ここが第6ヘアピンである。ヘアピン跡らしく弧を描いている。ここもひどいスズタケの海だったが、幸いヘアピン跡のあたりだけ少し薄くなっていた。


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 半分より先は車道に削られていた。


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 カーブミラーの立つ手前が少し広くなっている。ヘアピン跡の広場を切り崩したのだろう。


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 逆側より6ヘア跡。


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 黄矢印は高さの目安。


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 それから砂防ダムのある大きな谷を渡る(3回め)。


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 橋の周辺に橋台はないようだ。川沿いに石垣が見られるが、古い地形図画像に周辺に建物があったことが描写されているので、そのやつだと思う。結構な山奥だし、地形図に地名がないので、普通の集落じゃなくて造林小屋なんかが集まっていたのかもしれない。


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 橋を渡った先。地形図によれば、この両側に建物があったはずだ。山手の方には石垣画像が組まれているし、反対側画像にも平場がある。昭和50年頃の空中写真画像には建物の屋根が写っている。左の杉林の後ろがその跡で、藪に覆われて広場や石垣が残っている。




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