一の谷林用軌道岩茸線その5



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  岩の下を通っていくと、少し先に崩壊地があった。木の根が露出していたのでそれを足がかりに軌道跡に復帰した。


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 起点側の方は足がかりが少なく、よじ登るのが難しかったので残念ながら行けていない。画像は終点側から起点側を見たもの。この間の僅かな間にピンポイントで遺構が残っているとも思えなかったので、ここはさっさと諦めた。


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 前進再開。小さな切り通しを抜ける。


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  すると空の開けた場所に出た。断崖の途中らしく、背の高い木が周辺には少なくなっている。


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 軌道は石で築いた路体を通過していたようだ。一部は水の滴りで崩壊しつつある。


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 どこから垂れてきているのだろうかと見上げてみると、想像以上に"すげえ"事になっていた。天井が高すぎてそんな感じはしないけどこれも片洞門に入るのかな? あまりに高すぎるので、人工的に掘ったわけではなさそうだ。ところどころ風化しているように見受けられるので、水の浸食で岩が脆くなり、ごそっと剥がれ落ちたのだろう。そのへっこんだ所に「これは良い」とばかりにレールを敷いたのだろう。てっぺんの真ん中が溝状に掘れているように見える。そこを水が流れているようだ。所々虫食いみたいに小さな穴が空いているのが気になる。これも風化によるものだろうか。


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 脆い岩の下に長居するのは得策ではないので通過。この辺の地盤は丈夫らしく、路盤がきれいに残っている。


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  しかし程なく大規模な崩落の痕に差し掛かった。


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 崩土を乗り越えていくと、そこは谷川に面したところになっていた。かなりひどく崩れている。


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 進行方向側の橋台跡。跡形もない。


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 こちらは起点側の橋台跡。こちらもまた然り。雨が降ったらものすごい暴れ川になるんじゃないか?


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 左を見ると小さな滝が見えた。滅多に来るようなところでもないと思い、少し寄り道。


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 きれいな所だった(語彙力0)


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 前進を再開する。なんだか鬱蒼としてきた。


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  と思ったら川に突き当たった。


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 川沿いに道はない。路線図を見ると、この付近で川を渡っていたようだ。


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 だったらココが橋の跡だったと見るのが自然なのだが、対岸を見てもその痕跡が見当たらない。困ったものだ。


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  遺構を探してウロウロしていると、何故か上流へ2,30mくらい進んだところに橋台を発見した。


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 橋台のあったところから下流方向を見たところ。"ココ"と書いてあるのは川に出たところ。橋台は左岸側に残っていた。改めて周囲を探したが、やはり右岸側の路体や橋台は残っていなかった。とはいえ片方だけでも橋台が残っている以上、ココまで軌道がつながっていたと判断せざるを得ない。川にかなり近いところにあるから、大水で破壊されてしまったのだろうか。あるいは陸橋だったとか?



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 この探索のときは知らなかったのだが、SNAKE氏によると、この場所には戦後インクラインが新設されているようだ。岩茸線は元来、左岸に戻ったあとは標高を上げながら一旦下流方向へ戻り、ヘアピンでまた元の方向に戻ってきて斜面の上方を進んでいた。インクラインはこの間をショートカットする形で新設された。全長は80m弱ほどだったが、大回りしていた軌道を1000mほど短縮した(こうかはばつぐんだ!)。それで考えたのだが、ひょっとしたらインクラインが新設されたとき、この部分に旧線が発生したのではないだろうか。新線の遺構が見当たらなかったのが気になるが、数年後には岩茸線自体が牛馬道に降格しているようなので、簡素な作り(例えば木桟橋とか)だったとしても不思議ではない。右岸側(旧線)の遺構がなかったのは、10年近く早く役目を終えた上に川に近いせいで急速に崩壊していったのだろう。


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 このインクライン跡は3回目のときに調査したが、これと言って遺構は見つからなかった。左の画像はインクライン跡付近の斜面だ。溝状の地形はあったものの、人工的な地形か自然なものか判断がつかない。


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 橋台の奥。この付近は広場になっている。インクラインができた後は、左右に横切るようにレールが敷かれていただろう。


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 広場を出るとひどく藪化していた。この二回目の調査は季節も10月の探索には向かないシーズンなのでまあ仕方がない。


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 ココからは上の段の石積みが見えている。思ったよりも近い。インクラインは80m弱ほどの長さしかないし、斜面を真っ直ぐ登るのではなく斜めに行っていただろうから、大した標高差が無いのも自然なことだろう。


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  しばらく藪と格闘していると急に落ち着いて歩きやすくなった。結構な上り勾配になっているのが見て取れる。急勾配もインクラインへの付替えの理由の一つかも。


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 暫く行くと小さな切り通しがあった。


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  その切り通しを抜けると、そこは大きな谷になっていた。なぜかヤカンや鍋画像がまとまって落ちていた。


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 橋はないので谷へ降りる。日陰で見辛いが、手前の路体にはそこそこ大規模な石積みが残っている。


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 右方向に視線をずらすと、そこが橋台だった部分。植生で確認し辛く、当時は現存しないと思っていたが、今写真を見返してみると、裾の部分が一部残っているように見える。流石に四度足を運ぶ気はない。


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 こちらは終点側の橋台跡。文句なしに何も残っていない。


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 それからしばらくは目立った遺構もなく、山中を黙々と進んだ。自然に生えてきたのか、通せんぼのためにあえて植えたのか、杉の木が道の真ん中に植わっている。


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  10分ほど進むと大きな石積みが現れた。ヘアピン跡にたどり着いたようだ。


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 大きな石積みが残っている。小さな谷だったところを埋めたらしく、石積みの下の方から水が湧き出ている。


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 ヘアピンの中にも杉や雑多な低木が生えていて、写真のアングルを選ばせてくれない。


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 反対側から。


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 ヘアピン出口。木が倒れ込んでいて歩きにくい。




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