伊尾木林道久々場山線跡(2/2)


 A
 相変わらず車道が続く。5年前はこの付近で引き返した。
 久々場林道はいつしか久々場作業道と名前を変えていた。
 B
 特になし。
 〃
 C
 地形図で大きな谷が描かれているところ。川は描かれていないものの、比較的豊富な水量の沢が横切っている。道は流れに削られ、分断されてしまっている。
 しかし終点にはまだ早い。より一層荒れ模様となった車道を進む。
 D
 しばらく行くと、急に周囲の雰囲気が変わった。地形の改変が少なく、当初からこのようになっていたかのような。ここは列車交換のための施設で、道幅が広く取られていたため、車道化の際に手が加えられなかったのではないだろうか。
 路肩からは枕木がその姿をのぞかせている。終点は近そうだ。
 E
 それから二分後にはバシ谷に注ぐ名も無き(書類上は名前があるんだろうけど)谷に到着した。
 振り返って。
 SNAKE氏のサイトで公開されている路線予測図では、終点は谷を渡った所に描かれている。しかし、正面の谷には橋台や橋脚の痕跡は発見できなかった。
 となると奥だろうか。崩壊が進んでおり、ぱっと見て軌道跡だと判断できる遺構は見当たらないが、平場が風化しているようにも見える。
 期待と不安を秘めつつしばらく進むと、枯れ木越しに苔むした塊のようなものが見えた。
 F
 Oh,Paradise!
 先の分からない道を進み続けるのには忍耐と根性がいるものだ。しかし、それを乗り越えた者は必ず相応の報いを得るのである。今の自分はエルドラドを探し当てた探検家の気分だ。あるいは金欠の時に引き出しの奥で500円玉を見つけた時の気分だ(落差がひどい)。
 橋台の間にはなんともエキサイティンな吊橋の残骸が残っている。もちろん、後年造られたものだろう。
 まだいくらか吊橋の形が残っている。これはまだ橋だとみなされるだろうか。みなされるなら、ぜひ秋田出身の某Y氏に渡っていただきたいところ(無茶いうな)。
 広場にはレールはないが、枕木が現役当時のまま埋まっている。この枕木は弧を描いて配置されている(二個上の画像も参照)。
 また奥から見ると、橋台の正面に配置されていないこともわかる。ここの軌道は環状になってたのかもしれない。
 広場の片隅には、労働者に午後の緑茶を供給していたやかんが放置されていた。
 この先に軌道が続いていたか奥を探ってみた。
 この先に起動は伸ばせそうにない。この広場が終点と見て間違いなさそうだ。

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