西の川林用軌道跡1


 

 高知県が全国的にも指折りの林鉄県なのに対し 四国の他の三県ではレアな存在である。徳島県では国有林軌道は祖谷山の一本のみ、香川県に至ってはゼロである(徳島県にはその代わり、土工組合による私設軌道が複数あったけどね。殿川内とか有名)。愛媛県には数路線あったが、それも片手で数えられる数なので高知県を除いた四国では、森林鉄道はレアな存在と言っていいと思う。そんなレアな林鉄の一つが石鎚山の麓にあった。

 

 舞台となるのは西条市西之川である。無論、昭和の大合併で西条市となった地域であり、かつては大保木(おおほき)村といった。大保木村は加茂川の中〜上流域に位置し、中流部では河岸段丘、上流部では加茂川が作り上げた急峻な渓谷が広がっている。更にその奥には西日本最高峰の石鎚山があり、山頂を隣村と分け合っていた。東部では高知県と接しており、寒風山隧道が開通するまではシラサ峠を越えて本川村との交流もあった。そんな県境と接する最奥部が西之川である。石鎚ロープウェイの辺りと言えば分かる人もいるかもしれない。 この地域は藩政期から林業が盛んだった。この地域を治めていたのは西条藩で、和歌山紀州藩の支藩だった。紀州地方は木の国が紀の国に変化したとも言われるほど森林が豊かである。紀州藩の林業にも力が入っており、「紀州藩の奥熊野尾鷲組」と呼ばれていた。紀州藩と密接な関係にあった西条藩も大きな影響を受けていたというのは想像に難くない。しかし、機械力のないこの時代、ポテンシャルのない所に政策だけゴリ推してもすぐに頭打ちが来ていただろう。実際のところ、この地域の林業が盛んになったのは、海岸(海港)までの距離が近く、加茂川が流送に使えたという地の利があったことが大きい。

 

 加茂川の流送は藩政期から行われた。西之川には土場があり、山の伐採地から土場までは人夫や畜力、木馬などを駆使して丸太を下ろしていた。そこからは川の水量を見て、随時下流に流した。木材は神戸の釜口、大町の加茂、加茂川河口の古川まで流された。河口まで筏を操ってきた筏師は、氷見を通って黒瀬峠を越えて大保木へ帰ったと言う。 流送は西之川に道路が通じるまで続いた。西之川地区には、昭和2年に作られ土木遺産にも指定されている大宮橋があるので、その頃までには車道が西之川地区へ到達していたはずである。流送もその頃に終わったのだと思われる。軌道が登場するのは林野庁のpdfによれば昭和10年である。車道が通じてから年数が経っているのと、そもそもこの森林鉄道は土場から上流側へ向かっていたので、川流しを置き換えるものではなかったと思われる。土場周辺の木をあらかた切ってしまったので、さらなる木材を求めて上流部に軌道を伸ばしていったものと思う。軌道の終焉は昭和25とある。現在は軌道の名前を引き継いだ西之川林道(自動車道)に組み替えられている。

 起点は名古瀬にあった土場である。石鎚ロープウェイの麓駅を通り過ぎ、かつての土産物や旅館?などの廃屋の間をを通り抜けてさらに南へ下っていくと、まもなく民家が数件建っている。そこが名古瀬であり、加茂川(河口谷)で最後の集落である。なお加茂川は駅を過ぎてすぐに三方向に分かれており、そこから上流はそれぞれ名前が変わる。集落の入口に「石鎚山温泉第二源泉」なる施設があり、その道沿いが舗装されていない細長い広場になっている。そこが土場だったらしい。流送を行っていた時代の土場と同一かは不明。土場からは行き成りインクラインが接続しており、出発して早々50mほど標高を稼いでいる。下部軌道がなく直接インクラインが接続している(と言うかインクラインを上った先が下部軌道になるのだろうか?)というのは自分が今までに経験したことなかったパターンだ。インクラインを登った軌道はしばらく左岸を上流方向へ進む。途中林道(車道)と重なるが、程なく名古瀬谷をまたぐ古びたコンクリートの橋が残っている。軌道の跡である。これを渡るとこの路線で唯一だったと思われるトンネルがあるが、車道転換された際に埋没しかけ、辛うじて開口している状態となっている。そこを抜けるとまもなく二本目のインクラインがある。路線の詳細なデータが無いのであくまで地形図から読み取ったデータだが、更に100mほど標高を上げていたようだ。軌道は尚も奥地へと進み、車道からも外れ、大森山の東の谷間へと入っていく。"十郎あれ"の下を通り過ぎ、ハト谷やシロジ谷への分岐ももうすぐかなと思い始めたところに大きな橋台がありそこでまた左岸に戻る。橋台からは三本目のインクラインが直結しており、一気に標高800m付近へ。 そこから水平に近い緩勾配で上流へ遡っていき、極印木谷へ入ったところで再度右岸に渡っている。終点は極印木谷に300mほど入った標高810〜20m付近である。起点との標高差は350mほどだが、路線の延長は3500mほどしかなく、過去一の山登り路線となりそうな予感だ。なにせこの付近は西日本最高峰の石鎚山のお膝元であり、大変地形の険しいところである。空中写真で見ても一帯は深い森の中で、どのような所かは現地へ行ってみないとわからない状況だった。短距離路線にも関わらずインクラインが3本もあると知り、一体どんなに山の険しいところなのか、奥地まで到達できるのかと戦々恐々としたが、それに比例して好奇心とワクワクも大きいものとなった。

 


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 2022年1月1日。寒風山を越えて愛媛県入りした。西之川は県境からほど近い場所だが、高知県側からは道路が通じていないため、西条市内に近いところ(松山自動車道の高架下)まで迂回してこなければならない。地図で見たよりもかなり時間がかかる。画像はいきなり土場跡である。道中の写真も撮ってこようかと思ったが、石鎚スキー場へ行く客なのか意外外に人出が多く、そのまま走り過ぎてしまった。上記(導入)の通り、ここは最後の集落でこれより奥に人家はない。
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 反対側から。土場跡は車を何台も置けそうなスペースがあるが、トラロープで大きく囲われており、車を駐められる場所は限られていた。きれいに草を刈られているので、誰か個人のものになっているようだ。広場の入口に石鎚山温泉第2源泉画像なる施設があって、その前は空いていたのでそこに駐めることにした。
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 斜面の上は森になっている。インクラインはこの森の中を駆け上がっていた。
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 広場のすぐ横の川の橋のすぐ横にレールが一本埋まっていた。上流から流されt来たのだろう。軌道跡に敷かれたままのレールは無かったので、現役時代に崩落なんかに巻き込まれたやつか、撤去したけど回収し忘れたやつが長い年月をかけて運ばれてきたのだろう。
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 橋の反対側に階段があって斜面の上へ行けるようになっている。
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 斜面に上がると、広場に平行するように一本の平場が走っている。↑の導入で「土場からインクラインが直結」と言ったのだが、実は100mあるかないかぐらいの軌道がこの平場にあったらしい。おそらく荷降ろし作業するための側線的なものだったのだろうと思う。下ろされた木はこの斜面を転がり落ちようにして土場に入っていた。っていうか、下の広場までインクラインを繋げりゃいいのに、なんで一段上で止めてんだろ?
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 斜面には樹木がまばらな一直線のスペースが有る。ここをトロッコが上り下りしていた。
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 反対側、枯れ木と電柱が目印になる。
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 斜面に入る。インクライン跡は浅い溝状になっており、上方まで一直線に樹木がないベルトが伸びている。わずかに生えている木も、反っていたり傾いていたりと、しっかり枝打ちされてまっすぐ成長している周辺の木々とは明らかに浮いている。
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 途中から地面が荒くなった。崩れたのだろうか。その先も溝になっているので方向は間違っていないはず。
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 溝を抜けると平坦になった。第一インクラインは短距離なので、早くもインクライン上に辿り着いたようだ。横の岩肌が剥がれてきたのか多数の岩石が路上に散乱している。
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 インクライン上から下を見たところ。この辺だけ木が多くて見通し悪し。枝打ちもしてないし、勝手に増えてきた木かな。
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 やっと水平に歩ける。軌道跡を奥へ。この辺は車両の入れ替えのため複線になっていた筈で、路盤もやや広くなっている。
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 軌道は少しのあいだ真っすぐ進んで、山の斜面にぶつかったところで左へ進路を変えている。 そこはちょっとした広場になっている。巻き上げ機もこの辺にあったのかな?
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 この広場は谷を埋めたようで、元は築堤だったのか両側に石積みが残っている。
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 広場を過ぎると道幅は軌道由来のとても狭いものになる。ミニチュアのような切り通しを抜けていく。
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 築堤を抜けたところも石積みが残る。真ん中くらいには水抜きの溝が残っている。
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 そこを抜けるとまたも溝っぽい切り通し。
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 切通しは大きくカーブしている。個人的に絵になる景色で気に入っている。
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 切り通しを出たところは石積みになっている。高さも十分でgood。
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 カーブで方角が変わったためか、地質自体が変わったのか、地形が険しくなり傾斜も急になった。ここは石積みではなく、岩を切り崩して平地を作ってある。
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 そこを抜けるとまた谷と交差している。立派な石積みも見える。
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 一箇所だけかと思ったら、すぐ横にも石積みが。なかなかに楽しめそうな路線だ。
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 手前の方の石積みには水抜きの穴が残る。
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 奥の方の石積みは藪化していて観察しどころじゃなかった。
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 ヤブを突き抜けていくと、また切り通しが現れた。
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 堀割は背丈を超える深さがあり、やっと溝ではなく堀割らしい堀割を見たという感じ。
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 そこを抜けるとすぐさま次の切り通しが見えた。なんだか楽しくなってきた。



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