西の川林用軌道跡8


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 前回のH地点まで戻った。繰り返しになるが、分岐がどこだったのか気づかずに奥まで進んできたため、分岐の場所を探しながら引き返してきた。右は深い谷なので、分岐したら即橋だろう。それで橋台を探しながら戻ってきたのだが、思っていたよりいともあっさり見つかった。それが写真を撮るためにいくらか立ち止まった場所だと気づき、「ここかよ」と脱力することになった。なお時間にして20分ほど経過しているが、先程陽が当たっていた所がもう日陰になっている。急速にリミットが近づいている。


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 対岸の橋台はこの場所からでも残存していることが確認できた。程度は近くに行ってみないとわからないが。


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 橋台から下を見てみる。ここを降りられるか、川を渡れそうかを見るためだ。そしたら橋脚の土台も残っているのが見えた。肝心の川はここで渡るのは無理そうだ。土台の所までは行けるだろうが、その先が更に一段落ち込んでいる。終点側に行った所に降りられすになっているところがあったのを覚えていたので、変に粘らずにそっちへ行こうと思う。


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 再度上流側へ移動。谷底の方へ比較的はっきりとした踏み跡が残っている。確か階段のある切り通しの手前から降りたと記憶しているが、だいぶあやふやになっている。


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 左下に写る三本の木は足場の残骸っぽい。最初は山仕事の痕跡かと思っていたけど、今思うと あの看板画像が指していた名野川越えはここを経由していたのではないだろうかと思う。この踏み跡の先には小さいながらも 橋台画像が残っていて、野生の山道とは一線を画す感がある。ただ、案内看板はあれ以降一度も現れなかったので、実際そうかはわからない。


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 橋の下は滝壺のようになっており、あまり近づくことができなかった。おまけに見上げた橋台は絶妙な位置に影が差しており、見えにくい事この上ない。とりあえず、大きな欠損はなさ気な感じ。


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 こちら起点側。橋台は小さく目立たなかったので見えなかったが、橋脚のコンクリート土台は見えた。2径間の橋だったようだ。


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 右岸側への登攀を始める。橋台の周りは地形が急峻で登れなかったが、少し上流側に登れる斜面があった。


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 軌道跡に到達。右を向くと終点側。


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 左を向けば起点側。大きい木が倒れかかっていて帰り道の目印にちょうどよかった。先にこっち側の橋の方を改めに行く。


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 登った斜面のすぐ横は谷のような地形になっている。と言っても水はなくて、単なる地形の凹みっぽい。路体が崩壊したのか軌道跡は完全に斜めに傾いている。


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 ふと何かの気配を感じて上を見ると、大きな建物があった。予想していなかったが、きっと営林署の建物だろう。時間もあまりないのにエライもんを見つけてしまった。真上の建物が無事で軌道が崩壊しているということは、斜面の崩壊はなく、路体だけが崩壊したようだ。


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 先に橋台を見てから建物を改めるとしよう。斜面をすぎると平場が復活し、そのすぐ先に橋が架かっていた。


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 終点側の橋台。良くも悪くも普通。今のところ損傷はないようだが、だいぶ木が生えているので、なにか影響がありそう。


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 対岸の様子。こちらからは植生で見通せない。撮ったときは気づかなかったけど、橋脚は見えている。ちょっとばかし見当違いの方向を向いていたようだ。


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 橋台前から終点側を見る。ほんの十数メートル先から崩壊している様がわかる。


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 それではお楽しみ?の建物探索へ。


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 軌道に面した面は高い石積みなので、向かって右側(上流側)から回り込んだ。まず謎の木の枠が落ちていた。物置小屋の残骸かな。


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 少し離れたところには風呂釜が据えてあった。泊まりを前提にした施設だったと推測できる。元々は屋根も囲いもあっただろうが、すべて吹っ飛んでしまっている。さっきの木枠はここの屋根か、あるいは便所跡かもしれない。セメントでレンガを貼り付けてあったようだが、ことごとく剥がれている。水に浸けずにやったのかな。


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 そしてその横に建物本体があるが、ご覧の有様。下からでもいくらかダメージがあるのはわかったが、近くで見て想像以上に深刻な状況なのがわかった。下から見えていたのはほんの一部で、結構大きな建物だったらしい。SNAKE氏の情報によると、ここは「元山第三造林小屋」という建物だったらしい。"第三"と言うからには第一と第二もあるが、軌道の沿線ではない別の場所らしい。


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 一番手前の部分は完全に屋根が落ちていて、もはや原型がわからなくなっている。奥の方に壁とガラス窓が見えるので、差し掛けになっていて半屋外だったかもしれない。


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 その奥。少なくともここは屋内だったと思う。ここも完全に屋根がなくなっている。と言うか、うっすい屋根だなあ・・・。営林署員の手作りだろうか。雨音がダイレクトに響くだろうし、夏暖かく冬涼しいを地で行く構造だ。(ひょっとしたら冬季は山を下りていたかもしれないが)


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 なにか面白いものでも残っているかなと見渡してみたが、撤退するときにあらかた引き上げたようで、目ぼしいものは無かった。


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 部屋の奥には二段ベッド・・・というか中二階と言ったほうが良いかな? 作業員らが寝泊まりしていただろうスペースが残っている。夏はトタンが焼けて上の段の人は灼熱地獄だったろうな。


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 建物の裏手。当時煮炊きに使っていたのか画像が落ちている。


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 ガラスの残る窓。木枠である。


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 更に回り込んで建物の一番奥(下流側)へ来た。表の崩壊が嘘のように、コチラ側はまとももまとも。なんでだろう。日当たりとか山の影とか風当たりの影響とかあるのかな?


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 驚いたことに、この建物は電化されていた。軒下には碍子画像が引っ付いたままになっている。写真はないが、電線が斜面の方に伸びているのも見た。時間がなくて電線がどっちに伸びているのか見なかったのが悔いである。もっとも外部から電気を引いていたとも限らないのだが。自家発電だったのかもしれない。どっかに発電機小屋があって、電線はそっちに行ってたのかもしれないし、単に川から水を汲むポンプかもしれない。


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 更に角を回り、正面(川と軌道側)に出た。こっちは壁が倒れかかってて進めない。戻る。


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 近くの壁に穴が空いていた。動物が開けたのだろう。


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 人間用の穴もあって、室内へ入れた。


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 中へ入ると、外の崩壊っぷりからは想像できないようなきれいな空間が広がっていた。湿気で床は抜けているが、壁や天井はバリモンに近い。畳も敷かれていたようだ。責任者や古参の職員のスペースだろうか。黒いのは野生動物の糞。天井からは電灯用のソケットがぶら下がっている。


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 壁に近すぎて一部白飛びしてしまった。鉄製のハンガーが掛かったままになっている。窓のガラスもほぼ残っている。


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 ここの壁なんか、近年張り替えたのではと思えるくらいだ。流石に表のぶっちゃけた部分とこの部屋が同じ古さだとは思えない。建て増しされたか、途中で修繕が入ったんじゃないかと思う。きれいと言えば、登山者のいたずら書きやゴミが一切見当たらない。(比較:安居林道で見た小屋の例)やっぱり登山道からは外れていて、物見遊山の旅人が近づくことがなかったのだろうか。


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 押し入れの中。裸電球がぽつねんと残されていた。触らずにおいておいたが、今思えば製造年が読めないかぐらい見ておけばよかった。

次回最終回。




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