伊尾木林道小川線跡

 
 こんなに長い前置きを書くのは初めてのことだ。しかし、そうさせるほどにこの小川線はインパクトが強かった。

私事だが、2015年から16年のシーズンは大変実りの多いシーズンとなった。
この正月は例年に比べ、いくらか長い休暇をもらえたため、「今シーズンは古巣へ帰ろう!」と思い立ったのである。
古巣といえば、当サイトで扱った最初の森林鉄道跡は白髪林道だが、白髪林道は既に調査を完了している。なので、今回帰るのは伊尾木林道である。伊尾木も本線格である伊尾木線と別役線は調査をほぼ完了しているが、まだまだ支線が多数残っている。ちなみに当サイトでは既に久々場山線と八ヶ谷襖線を公開しているが、実際の調査は小川線を先に行った。

 小川線は伊尾木林道の支線群の中でも最も長く、最も市街地近くにあった路線である。
実は、小川線の情報は比較的古くからネット上に発信されており、伊尾木線との分岐から第二トンネル(小川線にはトンネルがある)までの様子が、マフラー巻き氏の運営する四国の廃道系サイトの老舗である「隧道探訪」にて公開されている。
ただ、廃隧道を題材としたサイトだけあって、第二トンネルより奥地の現状については調査されていなかった。自分が目指すのは、第二トンネル以遠の現状の調査である。

 ここで軽く小川線の概要を説明したい。
安芸市東部の県道207号線沿いに花という地区がある。
そこで伊尾木川と別れ、北東方向に続く河川がある。小川川である。
ちなみに小川はおごうと読む。その南岸に破線で示された道があるが、それが軌道跡である。



終戦の年である昭和20年から建設が始まり、昭和20年代中に延長15.2キロの軌道が完成したようだ。
廃止の時期の詳細は不明だが、昭和40年前後に主要な路線が相次いで廃止されており、小川線の生涯も20年程度だったと考えられる。

小川線の踏破を困難足らしめているのは、その交通の便の悪さである。と言うのも、車道転換されなかったために並行する車道がなく、山越えの林道などもないため、自動車で接近できるのは伊尾木線との分岐のある花と終点付近にある車道林道だけである。徒歩で近づけそうなところはただひとつ、小谷地区東の稜線にある果樹園だけである。しかも果樹園と軌道跡の間には標高差250mの斜面がある。大磯という所から山越え出来なくもなさそうだが、登った分だけ降りねばならず、始点の花地区とそれほど離れていないので、やる意味が薄い。

端的に言えば、楽をしたいなら一日で15.2キロを歩き通し、キツくても安全策を考えるなら果樹園の前後で二回に分ける。この二択である。

プロの登山家ならいさしらず、日曜大工もとい日曜探検家の自分には、一日で15.2キロという距離は、挑戦する気にもならない壮大なものであった。
情報がなく先がわからないのなら尚更である。
そこで、マフラー巻き氏らによって解明されている部分は捨て、調査の範囲を第二トンネルから終点までに限定することにした。
マフ巻き氏に倣い、果樹園から降下し、氏とは逆に上流域を目指す。これしかないだろう。
実際に現地へ赴いて、果樹園付近と終点付近の軌道跡のプレ調査も行った。あいにく終点に接近する車道は専用林道で一般車の進入は出来なかったが、そのゲート前に乗り物を待機させておけば、帰路は楽できそうだ。
こうして計画は着実に練り上がり、いつ実行しようかという段階まで話は進んだ。
しかし、仕事の都合で私生活が忙しくなったことで、安芸への遠征が億劫になり、その間の穴埋めに安居林道の調査なんぞを始めた(さくっと終わらせるつもりだった)ばっかりに、しばらく小川線のことはそっちのけになってしまった。

途中でサボりも入り、ついに3年が経過してしまった。

 安居のレポートも佳境に入り、「さあ次はどこへ行こうか」と考え始めていた、2015年の年末も近づく11月の某日。ふと頭の片隅に追いやっていた伊尾木林道のことを思い出し、何気なくGoogleで検索してみた。
すると、あるブログが引っ掛かった。ひろぽん氏の運営する「高知の廃校になったあの小中学校は今!!!」というブログであった。
氏は廃校巡りをする傍ら、伊尾木林道の探索を行っている。自分が調査を行ってからはや5年。ところどころ風景に変化が見られた。
ブックマークに登録し、しばらく記事に目を通していたが、ある日衝撃的なものが公開された。小川線の現状である。
先を越されたという事実にしばし絶句したが、早い者勝ちであるため仕方のない話である。精々画面の前で地団駄を踏むしかなかった。
しばらくして床が抜けそうになる頃、とあることに気づいた。

「想像よりも状態がいいな・・・・」

 これなら一日で歩き通すという野望も無理ではないなと。

 前述の通り、起点と終点付近には車道が通じている。終点の方に乗り物を待機させ、始点の方にそのまま乗り付ければ、移動の時間はほぼ考慮しなくても良いだろう。仮に日中の九時間を探索に充てたとしよう。時速一キロなら九キロ、二キロなら倍の十八キロ歩ける。
ブログの画像を見ると、局所的に荒れているところはあったが、総じて状態は良く、軌道跡ということで勾配もゆるいため、比較的速いペースで歩けそうだ。この頃は奥安居を攻略したことで、少なからずノウハウや自信を得たことから、小川線の探索についてもきっと達成できるという確信を持てた。15.2キロは(長いけど)決して遠くない!
また、とある画像に心奪われた。事業所跡に残された一台の原付バイク(ホンダスーパーカブ)であった。人知れず山奥でひっそり朽ち果てつつあったその一台に、強烈に惹かれた自分は、小川線の探索を決意するのに5秒と掛からなかった。
 2015年12月28日。探索を実行に移した。
早朝、夜も明けぬうちに軽トラに原付を積み込み、一路安芸市へ。
終点(に近づける林道の入口)に原付を待機させるため、奥栗一谷林道を経て猿押林道へむかった。
と、ここでハプニング発生。
「猿押林道は工事中で全面通行止めだよ〜ん」との予告が、林道入口に貼りだされていた。想定外である。
林道は馬路村にも通じているため、迂回をすれば辿りつけなくないが、時間がかかりすぎる。
やむなく工事現場手前のゲート前にバイクを停めた。帰り道は整備された林道を歩いて帰るだけだから、問題ないといえばない。精々、歩く時間が少し増えるだけである。

いきなり出鼻をくじかれることになったが、立ち止まっているわけにはいかない。探索開始地点の花地区に軽トラを飛ばし、7時前には小川川の鉄橋を望む沈下橋を渡った。玉井御殿前の空き地に軽トラを止め、装備品のチェックもしつつ夜明けを待った。
今回からGPSを本格的に導入した。コレで現在地はバッチリである。
ハンディーライトとは別にヘッドライトを用意したのは正解だった。林道のハプニングで、日没前の帰還は絶望的になったからである。
安物とはいえ、登山靴も買った。コレで長時間の歩行も苦にならないだろう(スニーカーよりはね)。
急速に夜が明け始めた午前七時、僻遠の地に続く一歩を踏み出した。かつてない壮大(当社比)な計画が今動き始めた。

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