大古味林道島の川線と島の川林道5
前回最終地点-A地点
峠を越え旧大野見村に入る。この付近の地名は島の川という。峠の天辺が路線の境界かと思ったが、台帳上はまだ大古味林道であるようだ。境界は後述のインクライン下端らしい。斜面の向きが変わったせいか、こちらのほうがやや荒れ気味に感じる。峠を越えたので、当然道は下りになる。どちらへ行くにしても必ず上り坂があることから、何かしらの動力車が使われていたのではと想像できる。
A地点
徐々に標高を下げつつ道は進むが、A地点で急に道が途切れる。ここで右手の斜面を見ると、均したような平らな斜面が一直線に下っているのに気づく。これはすなわちインクラインの合図だ。インクラインの存在は森の轍の路線図によりその存在を知っていた。
AB間
AB間はインクラインで急坂である。それでも前半は比較的傾斜が緩やかで、「このまま下まで歩けるんじゃないか」とも思った。もちろんそんなことはなくて、途中からジグザグ走行を余儀なくされた。当時の通路跡なのか、獣道のような平場が付かず離れず伸びている。途中でインクラインの跡を見失うことを心配したが、土留の役割があるのか所々に等間隔に石が並んでおり、それを追っていけば迷ってしまうことはなかった。GPSのログも割とまっすぐ伸びているので、大きく外さずに下ってこれたようだ。
B地点
やがて車道まで降りてきた。峠の車道と同じ奴なので、正しくは再会である。島の川側の軌道跡はこの車道に転用されているので、インクラインの下端もこの道路上であると予想していた。しかし、いざ現地を確認してみると、インクラインに対して道路の角度が急すぎることを知った。それで、「車道を突き抜けてもっと下まで降りていたのでは?」と考えた。実際、谷底を注意して見ると、石積みが残っているのが確認できた。
周辺は傾斜が急なので、降りられるところを探して車道を下っていった。100mほど行ったところの斜面が緩かったので、そこから川に降りた。降りると軌道跡が平場となって残っていた。インクライン側へ戻って行くと、軌道は川に当たり、そこに橋台が残っているのを見つけた。しかも三基ある。画像の1,2,4番である。元々は3?の位置も含めて四基あったと思われる。旧線かもしれないが、恐らく機回し線が有力だろう。以前歩いた伊尾木林道小川線のインクラインの手前も幅がかなり広くなっていたた。
対岸に渡ると、そこは広場になっていた。しかし、これと言って面白いものは残っていなかった。広場はあまり広くなく、大きな建物を作るのは難しそう。掘っ立て小屋くらいならあったかもしれない。広場の奥に進むと、そこにも橋台があった。ここが真のインクラインの下端である。橋台は北(インクライン)側のだけ残っていた。南(広場)側については写真がないので、多分残っていなかったんだと思う。そして、この広場が路線の境界にっているらしい。インクラインを含む東津野側が大古味林道、広場より大野見側が島の川林道。
前述の通り、島の川林道はほぼ全部が車道に転換されている。平場から少しの間は車道の下に石積みが見つかるが、程なくそれらは見られなくなる。
C地点
島の川橋と言う橋が架かっている。その下、少しズレた位置に軌道時代のものと思しき構造物が残っている。
D地点
名もない支流の谷に橋台の残骸が残る。
DE間
ここにも橋台が。D地点のと比べて形がよく残っている。
E地点
車道が切り通してショートカットしたので外側に軌道跡が残っている。ホンの何十メートルかしかないが、ほぼ全線が車道転換された島の川において、当時の姿を残す貴重な存在だ。
F地点
対岸に島ノ川の集落が見えてくる。平成も終わりかけのこのご時世、未だに舗装もされていないような道路の先に集落があるのかと驚く。集落への入口の橋が見えると、その角にやや潰れかけた小屋がある。軌道はこの小屋のある場所を突っ切ってその後ろにある切り通しに続いていたのではないかと思う。突き当りで右に折れ、なおも島ノ川沿いを進んでいくものと思われる。車道はそのやや内側に新たな切り通しを作り進んでいる。それでここにも短いながら軌道時代の地形が残っている。