土讃線周志トンネル旧線(2022)4
橋梁跡を後にする。線路跡、かなり傾いてるな。急曲線なので線路のカントが大きいのか、これも地すべりの影響?
新線に合流する直前、植生が薄くて、とても雰囲気の良い廃線の景色が広がっている。
その先、杉林が広がっている。
線路は真っ直ぐ杉林を抜けていると考えていたが、林から外れたところに暗渠みたいなのが残っているのを見つけた。
そうなると、杉林の中じゃなくてもっと端のほうを通っていたかもしれない。
路面は傾いて少し下がっている。これも小規模に地すべりが起こっていると思う。
地面が下がって裏側が見えてしまった擁壁。
林の向こうにコンクリートの壁が見える。新線の擁壁である。地すべりの影響が行かないか心配だが、今のところ大丈夫っぽい。合流はもう少し先。
地すべりの影響か波打つ路面。
1000型キター
薮越しに新線のロックシェードが見えた。
ロックシェードは現役の潰谷トンネルにそのまま繋がっている。
島の本トンネル同様、こちらも拡幅されている。川に沿ってカーブしていたのを山の方に振り直したので、トンネル入り口付近に三角形の余白ができている。島の本トンネルよりも近づきやすいのと、拡幅の規模が大きいので、前回の訪問でも気づいた。
三段階で拡幅されている。新旧分岐点はトンネルの真ん中辺りかな。
拡幅箇所には改修年が陰刻してある。1956-6。
潰谷トンネル前から振り返って。
周志トンネル高知口。
当時の新聞に試運転列車の写真が残っていた。当時はまだ四国でも蒸気が走っていた時代で、牽引機はハチロク(8647)だった。試運転列車は池田口から入り、5分掛けて高知口へと抜けてきた。左の画像は高知口から出てくる列車を撮影したものである。頭しか写っていないが、後ろに検測車(おいらん車)を繋げていたはずだ。なおこの試験で碍子が一個ハミ出していたのが分かったようだが、供用開始には影響なかったようである。処女列車は25日早朝の高松桟橋行き115列車である。
右を見ると潰谷トンネル。新線は結構な急曲線を描いている。そこはかとなく無理くり繋げた感がある。
帰り道は、杉林の横の斜面が緩かったので登って上の車道に出た。前回と同じ方法だ。
駐車場所から500m弱南、ガードレールと墓の横に出る。