土讃線周志トンネル旧線(2022)3



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 レッツ入洞〜。
 内部は水たまりになっている。昔来たときはスニーカーだったので入るのを諦めた。今回はヒップウェーダーを準備してきたので多少深い水たまりや泥ハネなど怖くない。


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 支保工の残骸と思われるものが残っている。木材の腐敗の進行がわかる良いサンプル。


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 水たまりは序盤が一番深い。トンネル全体がわずかに上り勾配になっていて、入り口付近に土砂が積もっていたせいだ。


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 奥側は陸地が現れるが、流れてくる水でぬかるんでいる。


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 天井からはナニかが成長中。何千年かこの洞窟が残ったら鍾乳洞になるのかもしれない。


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 下の方でもナニかが成長中。


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 住人の方々。


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 途中、何故か一箇所に支保工が集まっていた。


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 ドリルの痕。


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 壁に板がくっついていた。字は書いていないようだった。それとも湿気で溶けて消えたのかな? 「入口から〇〇m」みたいなのが書いてあったのかな。


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 金属製部品が落ちていた。足場の部品に見える。洞内では足場で桟橋を組んでいたのだろうか。足が濡れなくて良さそうだ。


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 奥の方は再度水没していた。しかし水深は浅い。ぶっちゃけ普通の長靴でも突破できそうだ。でも泥ハネの心配をしなくていいのでこれはこれで楽だ。


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 やがて若干登り坂になって水が引けた。奥の方から水が流れてきているが、真ん中の方を流れているので陸地は多い。


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 穴に潜っておよそ30分、前方に灰色の壁のようなものが見えてきた。


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 それは崩落してできた瓦礫の山だった。天井近くまで土砂が積もっている。「おそらく最後は新線のトンネルの壁の裏側で行き止まりになっているだろう」と予想していたが、ここに来て落盤とは予想外だった。


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 上を見ると土砂の上に空間がある。当然落下した岩石と同じ分だけ隙間が空く。悠悠進入できそうな広さだが、これにはちょっとたじろいでしまった。自分がいるときにさらなる崩壊が起こる確率は天文学的に低いと思うが、崩れた箇所に突撃するのはなんとも恐ろしく思えたのだった。実は今回の探索では結局ここで撤退してしまったのだった。しかし時経つうちに「やっぱり見ておけばよかった」と後悔後悔の念が強くなった。それで2023年にもリベンジのためにこの穴に突入している。このページには2年分の写真が混ざっている。


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 瓦礫の斜面を登って天井付近に到達。落盤したにしては天井に凸凹ががなくてきれいなような。地質の境目なのかな? しらんけど。まだ奥行きがある。


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 狭い穴を這うように進むと下り坂になった。峠を越えたらしい。


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 新たな空間に通じていることを期待したが、その先も狭い隙間しか存在していなかった。流石に行動不能になりそうな気がしたので諦めて引き返した。せっかくリベンジしたのに、結局行き止まりが見られず残念だった。それがどんな姿をしているかは想像するしかない。ただの無慈悲なコンクリートの壁なのか、あるいは新線に通じる穴でもあるのだろうか。自分が思うに、おそらく新線には繋がっていないだろう。というのも、洞内にいるときに二度ほど列車の通過音が聞こえた。あらかじめ時刻表をチェックしていたので予想はしていたものの、地鳴りのようでわかっていても不気味だった。このとき洞内の空気が動く気配がまったく感じられなかった。穴が小さ過ぎて風が感じられないという可能性も考えたが、風の音が一切聞こえなかったし、そもそも排ガス臭もしないので、まあそういうことだろう。


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 土砂を背に入口を振り返る。横坑は一直線で入口の光が小さく見える。前のページの最後の記述のとおり、このトンネルは山肌に対して直角ではなく、旧線跡から見ると左後ろへ折り返すような形で掘られている。きっと池田側へ大幅に戻っているはずだ。横坑なら中間から真っ直ぐ掘っったほうが掘り抜く距離も短くて効率的なはずである。実際、記録では徳島口と横坑の間が高知側よりも1ヶ月早く掘り抜いている。実はこの坑、最初から横坑として掘ったのではなく、地質調査用に掘ったのを横坑として再利用したものである。おそらくは断層の深さを調べるために、例の地滑り現場画像の裏側を目指して掘ったのだろう。延長は260mあるそうで、洞内で距離を図る術があれば、自分が横坑の何%を攻略したかがわかりそうだ。尤も再度の再訪はゴメンだが。


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 入口に戻ってきた。往復で一時間ほど掛かった。500mほどにしては時間が掛かったという印象だが、写真を撮ったり観察しながら進んだというのもあるし、水たまりで足元が悪くて速く歩けなかったので、思ったより時間が掛かった。


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 岩原側から橋梁跡と横坑の入口を見る。建設当時は車窓から工事の様子が見えただろう。


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 昔の高知新聞に工事中の写真が残っていた。下周志橋の下から横坑を見た様子である。工事中には手押しトロッコが使われたようだ。西部劇に出てくる鉱山みたい。

高知新聞1955年10月14日夕刊より引用


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 本題が終わったので、残りの旧線跡を見て帰ることとする。


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 出発してすぐのところにコンクリートの土台がある。これは印象に残っていなかった。機械箱の跡かな? それともトンネル工事に関連したものだろうか? 自分には見た目で判断できる知識がない。


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 そこから程なく、2本めの橋の跡がある。


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 「行路谷」それがこの橋の名称である。左に結構広い陸地があって、あんまり見橋っぽく見えないな。地すべりで陸地が落ちた現場みたいだ。


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 橋台が軽く埋まりかけてる。土砂崩れでもあったかな。そのお陰か知らんけど登り降りせずそのまま脇を歩いて通過できる。


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 2径間の橋で、橋脚が一本残っている。上面に植物が根付いて盆栽化している。橋の形状は普通のプレートガーター。


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 高知側橋台。


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 高知側より行路谷橋梁跡を見る。





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