土讃線周志トンネル旧線(2022)2



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 川を渡って高知に舞い戻った。反対方向へ向かう。不自然に彩度が高いが、カメラの設定をいじったせいで日を変えたわけではなく同日である。あと現実はこんなに色鮮やかじゃない。


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 バラストが枯れ葉や土に埋まらず地表に露出している。角のない丸石だ。昔はよく川でバラストを採取していたので、角のない砂利が残っていることがある。今日では環境保護の観点と、そもそも摩擦が少なく形が崩れやすいという理由から、砕石の使用が推奨されるが、ローカル線や地方私鉄では今でも稀に見ることがある。


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 ハエたたきの跡かな?


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 程なく2本目のトンネルが見えてくる。


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 この旧線に2本あるうちのもう片方である。自分の記憶では橋梁跡からいくらか距離があった気がしたが、存外に近かった。歩いて2分くらい。坑口は土讃線ではおなじみのスタイル。地山にそのまま穴を開けただけのような簡素な作りだ。とかく味気ないが、大量生産には向いていそうだ。トンネルだらけの土讃線にはうってつけ。


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 旧レポでは名称が分からなかったので、旧周志トンネル(仮)としていたが、大歩危の旧線のついででこのトンネルの名前も判明した。境谷トンネルがその正式な名称だった。橋梁名とおんなじだな。しかもここは頑張れば読めそうな程度にペイントが残っている。前回は読めそうだったが自信がなくて諦めたが、今なら一発で境谷だと分る。土讃線ではかなり早いうちに放棄されたトンネルだが、ここまでの状態でペイントが残っているのは驚きだ。


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 トンネル内部もやはり見慣れた感じ。


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 毎度お馴染み、メント節約の五角の坑。岩を掘り当てたところをこうやって節約しているのだと思う。


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 反対側の壁にはキロポストを模した絵がある。これは前回来たときも目にしたが、興味を惹かれなかったのでスルーしていた。添えられている数字は71.5キロとある。確か周志トンネルの位置が多度津起点71.1キロだったと思うので、この絵はただの落書きではなく実際の距離を示している可能性が高い。しかし本物の距離標はどうしたのだろう。新トンネルの方に植え替えたのかな?


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 トンネル出口。こっちはちゃんとしたポータルがあって、鉄道トンネルらしい威厳を感じる。


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 トンネル出口から高知方を見る


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 美しき吉野川の流れ。結構谷が深い。ただでさえ落石や土砂崩れが多いところなのだ。事故防止に務める職員の神経は常に尖り放しだっただろう。


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 暫く行くとヤブが濃くなった。前回来たよりだいぶ濃いぞ〜。


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 その藪をくぐり抜けると地面が大きくずれている。ここはよく覚えている。地滑りの跡だ。これが原因でこの旧線が放棄されたのだろう。


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 進行方向側。地滑りの影響で水平が失われている。また上の画像からわかるように、本来より2メートル近く地面が下がっている。


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 斜面に残っている擁壁にも大きな亀裂が入っている。


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 まだ断面が白い新しい亀裂があった。今も変状が続いているようだ。いつか破滅的に決壊してしまうかもしれない。その規模によってはこの旧線は分断されてしまい、踏破が面倒くさくなるかもしれない。


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 やがて地滑り区間が終わった。冒頭で触れた新聞記事では幅400mの断層と出ていたが、それよりは短いと思った。。表面に現れているのは氷山の一角なのかもしれない。


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 地滑り現場から先の軌道跡。きちんと水平が出ている。


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 それから幾ばくか歩くと橋の跡に出る。


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 記憶に残るこの谷は深くてちらりと撤退を感じさせた場所だ。なお資料によって橋梁名も判明。「下周志」橋という。下があるなら上もあるのかと思ったらそっちは無いようだ。間に橋脚はなく一径間の橋だった。資料によれば境谷橋と同じくプレートガーター。


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 前回使った太めの蔓がまだ残っていた。と言うか少し成長している。前回と同じように斜面を下った。


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 ここを下ってきた。左の壁が橋台。


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 起点側の橋台。


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 終点側。


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 さて、今回の再訪はやり残しが本筋である。長くなったがようやく本題に入る。そのやり残しというのがこれだ。起点側橋台の横の方に残っている坑。正体は横坑であろう。前回は入口まで行って中は覗いてみたのだが、内部に水が溜まっているのが見えたのと、そもそも懐中電灯の一本もなかったので進入は諦めたのだった。当時使っていたガラケーにはLEDライトは付いていなかった。今回はこのために準備万端できたので満を持して入る。


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 下から見上げた入口。全く平地がないので、建設時は足場を組んでいたのだろう。並行する車道もないので、建設事務所が置かれていた土佐岩原駅から定期列車の間を縫って、臨時列車が運行されていたと思われる。


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 平地がないのでいきなり中の画像。当然真っ暗だ。


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 穴から外を見た様子。この画像で気づくかもしれないが、横坑は斜面に対して直角ではなく、かなり鋭角(というか平行に近い角度)で掘られている。これは理由がある。とりあえず詳細や奥の様子は次回。





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