一の谷林用軌道一の谷線その1
嶺北地域で一大規模を誇っていたのが、この一の谷林用軌道である。魚梁瀬森林鉄道に一の谷線があるが無関係。こちらは吉野川支流の瀬戸川沿いに敷かれた路線である。長野県に瀬戸川森林鉄道(木曽林鉄瀬戸川線)というのもあるがもちろん無関係(こっちのほうが古い)。本線格の一の谷線に加え、二本の支線があり。総延長は27キロに達する。全線が土佐町内で完結するが、中心街からは大きく外れた地域にあり、時間的にも距離的にも大川村にかなり近いところにある。路線の等級は2級である。どのような車両が使われていたのかは現状わかっていないが、路線の等級から蒸気機関車の使用実績はないはずだ。自重で坂を下り、空トロのみを畜力かガソリンカーなどで引き上げていたものと思われる。路線名は地名(土佐町瀬戸字一の谷)から来ていると思われる。
本稿では一の谷線を始点から紹介していく。路線の概説はこうである。始点は吉野川から瀬戸川に入ってすぐの右岸側。土佐町南川の、県道265号線の下の川べりである。そこから瀬戸川上流へ向けて、右岸側を遡っていく。途中で県道6号線と重なり、しばらくは県道用地に転換されている。黒丸地区で左岸に渡り、県道からは離れるが、黒丸地区内では町道に、以遠は林道(車道)に転換されている。紅葉の名所の瀬戸川渓谷を通り過ぎ、道中唯一あるトンネルを潜るとやがて再び軌道の単独区間となる。再び瀬戸川を渡り、右岸側をつづら折りで登りつめ、稲村ダムの堰堤の下まで至る。現役だった時期は、国有林森林鉄道路線一覧表(R2年5月版)によれば、明治42年から昭和35年までの50年間である。
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初探索は2019年の1月1日である。正月早々なにしてんだろうね
早速始点の土場跡へ・・・・と言いたいところだが、それはできない。と言うのも、ここより下流の吉野川には早明浦ダムが作られ、この辺りの谷底は水没しているからだ。左の写真は県道17号沿いにある親水展望所から瀬戸川を見たものである。早明浦ダムの渇水の象徴と言われる旧大川村役場跡からは1キロほどの位置である。左右に流れているのが吉野川。奥へ行くのが瀬戸川である。軌道の起点は瀬戸川の右岸側、すなわち向かって左側にあったはずだ。軌道跡以外にも里道や集落があったはずだが、その痕跡は見当たらない。水面下に沈んでいるようだ。
上流に移動。南川橋
(県道265)から起点側(下流)を見たのが左の写真である。上の写真を撮った親水公園が写っているはずだが、縮小し過ぎで見えなくなった。同様に上の写真にも橋が写っているが縮小(ry。
それはさておき、上流側から見てもやはり痕跡は見えないので、やっぱり水面下だろう。
同様に終点側.こちらもやはり軌道の痕跡は見られない。集落跡か段畑だったのか、石積みが段々に残っている。
取っ掛かりを求めて県道6号線を南下。右岸には町道が通っており、水没を免れた軌道跡を踏襲しているはずだ。なので、その間の僅かな間に残る軌道跡を探さなくてはならない。
更に南下。・・・・っと?
スバラシイ
第一印象はバッチリだな。少なくとも自分は気に入った。空中写真を確認すると、対岸に河原に降りられそうなスロープがあるのが確認できた。で、ソッコーで車を対岸に回し、霜で凍った雑草をかき分けて河原へ下った。
下流(起点側)を見る。荒涼とした世界が広がっている。カラーとモノトーンの境界にいる。奥に見えるのは南川橋。橋の手前に段々の石積みが見える。さっき橋の上から見ていた辺りだ。やはり周囲に明確な軌道の痕跡は見受けられない。あるいは石積みの中のどれかが軌道由来のものかもしれないが、断定はできない。
こちらが進行方向。やや下流の方に降りてきてしまったようだ。ここからでは斜面の陰で見えない。
少し進んでカーブを抜けたがまだ見えない。多分、次のカーブを抜けたらさっき見えたところが見えるはず。それにしても、なんだかやけに歩きやすい。地面を見ると、氷柱が立っていた。砂や砂利が持ち上げられて表面を覆っている。さながら天然のアスファルトだ。滑らなくて良いと思ったが、日が昇ったら解けてくるんじゃと思ったら自然と足が速まった。そう言えば、対岸にも面白そうなものがある。県道6号の旧道だ。早明浦ダムは大川村の旧中心街を沈めている。大川村を通過している県道も下流の方では当然水没というわけだ。
そして次のカーブを曲がると、ついに軌道跡を射程に捉えた。
昔はこんなところをトロッコが行き来していたんだと思うと感慨深く感じる。なかなか面白い光景だ。上から見たときはわからなかったが、上がオーバーハングして片洞門になっている。ちなみに奥と手前で石の積み方が違う。上からの写真
を見直すと、起点側(左)が雑だ。崩れたところをやっつけ気味に直したのかな?。
洞門を抜けたところはザレ場になっている。その向こうにお立ち台のように路体が残る。
お立ち台から後ろを見る。
お立ち台の先にも石積みが続いている。しかし土砂が堆積してその上に雑木が生えているので歩きにくくなっている。
その先も似たような状況である。足元に整然と並んだ石がそこが軌道跡だったことを教えてくれる。
が、流石にここまでだった。今までのやや緩やかな斜面が打って変わり、断崖の上に入った。「こりゃ反対側から来たほうが利口だな」とおもったので・・・・
直接斜面をよじ登り、上の町道へ出た。軌道はこの先で町道と合流するはずなので、そのポイントを探すことにする。
それは案外簡単に見つかった。まず、道を進んでいくと橋がある。そのすぐ横に橋台が残っている。
両側残っている。ここから戻りつつ、平場が並行していないか探した。
そうしたら、このカーブのところで一段下がったところに平場を見つけた。
軌道跡に復帰。起点方向に逆走。
車道の造成の影響か結構状態が悪い。
雑木をかき分けて進むと竹やぶの中に片洞門があった。
更に小崩落や竹やぶを乗り越えていくと、かなりきれいな状態で橋台が残っていた。別角度から
その先はまた竹やぶに突入しているが、橋台から目と鼻の先の位置で大崩落を起こしていた。D地点の反対側にたどり着いたようだ。起点側から見るとこの位置
にいる。
そーっと下を覗いてみる。深い谷だ。降りるのは難しそうだ。軌道はどうやってここを越えていたのだろう。
対岸の県道から撮った写真がある。右の奥には橋台が見えている。画像中央やや上
が最終到達地点である。上からはわからなかったが、だいぶ下の方に石積みの根っこの方が残っている。橋台や橋脚の跡が残っていなかったので大方予想はついたが、石積み擁壁の盛土区間だったようだ。その左
の方にも同様に石積みの残骸がある。ちなみにD地点は木の陰で写っていない。
橋に戻り先へ進む。
町道が軌道の跡だと思ったので、町道をてくてく歩いていく。交通量は極端に少ないようで、道普請もお座なりなようだ。
暫く進むと七尾橋
のたもとに出る。銀色の車の先に未舗装の林道がある。これが軌道跡だろうと進んでいった。
入って程なく、林道の下に橋台があるのを発見した。「そんなに急坂じゃなかったのにいつの間に下に行ったんだ?」と訝しく思ったが、作りが丁寧で、林鉄跡でよく見るものと違いがなかったので「気のせいか」と深く考えることはしなかった。
橋台より手前(起点側)には道が残っていたが、カーブ一つで藪に還っていた。あとどうでもいいけどウィスパーの瓶が落ちていた。(懐)
終点側については、すぐに上の林道と合流していた。軌道跡が車道に転用されたのだろうと思った。特に珍しいことではない。林道を進んでいくと、大きな石ころの入った金網が路上に陣取っており、通行不能となっていた。
そこを乗り越えていくと、道は細い山道に変化していた。同時にあからさまに勾配がきつくなった。軌道跡にしては随分急だと思ったが、橋台を見つけたばかりで分岐もなかったし、ここより低いところに道も見えないし、とりあえずそのまま進んでみた。
なおも進んでいくと、上の方に別の山道が走っているのに気づいた。こちらと比べてほとんど勾配がないようで、すぐに合流した。
合流点は切り通しになっている(フレームから外れてるけど)。ここはちょっとした鞍部になっていて、尾根を挟んで大きく左にカーブしている。カーブのゆったりとした具合は見慣れた林鉄跡の景色だが、やっぱりさっきの坂道は軌道跡にしては勾配が急すぎるとおもう。
自分が気づかなかっただけで、どこかにつづら折れでもあったんじゃないかと思って二度ほど往復して調べたが、特に何も見つからなかった。なので、合流した平坦な道(右)を戻ってみることにした。
残念なことにこちらにもかなり立派な橋台が残っていた。何が残念かって、下で橋台を見つけていたからソッチが軌道跡だと信じていたから。だが、見た目にはこちらが軌道跡だとしてもおかしくない。
このままこの道がどこに通じているのか確かめることにした「案外、途中から上り坂になっちゃったりしてね」なんて期待してみたが、道はずっとゆるい下り勾配で進み続け、最終的に七尾橋の上まで戻ってきてそこで途絶えた。
どうやら町道が軌道跡を踏襲していると思ったのが間違いの始まりだったようだ。町道は全く(若しくは殆ど)軌道跡を踏襲しておらず、むしろ削り取って破壊していたのだった。
こんなく初見じゃ気づかんよなあ。
林道の下にあった橋台は何だったのだろう? 帰宅後に旧版地図を検証したところ、確信はないが、ダム湖ができる以前の旧七尾橋に続いていたものだと思う。
↑はあくまで帰宅後にわかったことだ。探索中は半信半疑のまま先へ進んだのだが、この後も間違いは続いた。
切り通しを抜けると、間もなく道は二手に分かれた。道幅はどちらもおなじに見える。勾配については、右手の道はほとんど水平だ。左は登っているが、さほど急な坂にも見えず、どちらが軌道跡なのか判断に苦しんだ。
「後々楽なように早めに標高を稼いでいたんじゃないか」と考え、左の上りの道を選んでみた。はじめのうちはいい感じの上り坂で、これで正解かと思ったが、やがてまた急坂が現れた。そしてまた別の山道に合流して、今度は下り坂になった。逆勾配がある時点で軌道跡だという線はほぼ消えたが、ダメ押しに左の画像のような橋が現れた。橋台の石積みが、軌道のそれとは明らかに違う。端的に言えば作り雑だ。
「アイヤー」と思って下へ降りると、あるんだよなあ・・・・・。下の道に見慣れた作りの橋台が。
E地点以降がかなりグダグダになってしまった。
「仕切り直すか・・・・・・」
後日、探索をし直すことを決めた。後半のグダグダで半日が無駄になった。前半は収穫があったから良かったけど。
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