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A まるで爪で引っ掻いたかのように、岩肌に一文字に軌道跡の溝が走る。 |
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問題はその手前に蟻地獄があることだ。 |
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うっほほい。怖くてチビリそうだぜ。 |
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秘密兵器登場。移植ゴテ。写真は流用。これで足が乗る分だけの窪みを作り、前進するわけである。 |
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こんなものでも、有ると無いでは結構違う。僅か二分で通過。 |
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坑口がわずかに崩れかけているが、比較的良好。 |
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進行方向に対して入り口は掘ったままの自然な形だったが、出口は石積み+コンクリート巻き。 |
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出口側の坑口。こちらの坑口の前にも、崩れてきた土砂が少し堆積している。左側は断崖上にあるので、坑口が埋もれることはないだろう。 |
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B トンネルの手前は非常に切り立った場所にあったが、抜けた先ではいくらか傾斜が緩くなっている。写真はその途中にあった小さな橋。 |
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残念なことに、上流側の橋台が崩れて川側の桁が控えめに落っこちている。 |
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残っている桁も若干ズレているように見える。鉄砲水が流れるのかもしれない。 |
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束の間の平穏。 |
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この場所にも橋があったのだが、どういう訳かその上が藪化していた。 |
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途中で見つけた鉄製の看板。上段は第一日曜 家庭の日、中段は判別不能。下段はダイイチ醤油とある。軌道に直接関係ない内容だが、現役だった頃はこの辺に人家でもあったのだろうか? ダイイチ醤油はダイイチ・ダルマ食品と名を変え、現在でも存続している。 |
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浅い掘割を抜ける。 |
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すると、続けざまに巨大な掘割が現れる。 |
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掘割の川側の壁面には、何か抉ったような跡がある。トンネルの跡だろうか? 地図には載ってないが、昔の地図だと端折られていることも珍しくない。 |
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そして、掘割を抜けると急に視界がひらけ、石積みの築堤だけが谷に張り出している。 |
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そして枕木が宙に並ぶ。 |
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C うひぇ |
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魚梁瀬のように観光地化されていない分、なかなか凄まじい物がある。と思う。 |
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橋台に綻びは見られず、役目を失っても凛と立ち続けている。 |
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元は木造の方丈橋だったのか、橋台に穴が開いている。故に旧線らしき痕跡はない。 |
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ここにも横川橋梁の銘板。同時期に製造されたらしい。昭和11年といえば、日本が軍事的にきな臭い時代に入りつつあった頃だ。木材需要の高まりを予感して、輸送力増強を図ったのだろうか? |
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こういう場合、枕木が残っていない方がありがたいのだが、なんでこんなに綺麗に残してあるのだろう? 歩道としての役割が残っていたのだろうか・・・・? 落ちたら即死せずに両足骨折で身動きできなくなって衰弱死できそう。 |
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これは振り返って。画像奥が下流。 |
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渡った先は崩落していたが、超えた先は比較的落ち着いてそう。 |
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落ち着いたり崩れたりを繰り返し、地味に体力を削ってくる。 |
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D 障子藪から数えて、本日の四本目〜! |
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なかなかすごい所に穴を開けたものだな。 |
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このトンネルも非常に短い。出た先が片同門になっているのか、歪なシルエットを写している。 |
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どんな地形でも律儀に石を積んでいく当時の労働者たちの律儀さには敬服しなければ。 |
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洞内の壁には碍子が残る。電話線を引いていた跡だろうか? その碍子を土台にして、鳥が巣をこさえていた。 |
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やはりトンネルの出口は片洞門状の地形になっており、規格の低さも手伝って圧迫感を覚える。 |
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コンパクトにまとまっている。 |
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いくらも進まないうちに、次のトンネルが見えてきた。 |
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E 特に感想はない。トンネルを通らない旧線らしき平場があったが、荒れていて食指も動かなかったので割愛。 |
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坑口の前から。特に感想はない。 |
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気がつくと、路盤に勾配を感じるようになっていた。 |
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F いつしか川が見えないほどに高低差が生じていた。 |
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途中で金属製の部品を発見。なんだろう? 連結棒? |