一の谷林用軌道岩茸線その4
帰宅後の反省会でGPSのログと空中写真を重ねてみると、本来よりも南側を歩いていたことがわかった。上部軌道やインクライン跡と交差することを期待して、矢印のように斜面を北に移動してみたが、気付かずに横切ってしまっている。発想自体は悪くなかったと思うが、偶然痕跡の薄いところを横切ってしまったらしい。やっぱり事前学習は大事ね。
この点を頭に叩き込んでリベンジにやってきた。左の画像は左岸側より終点の方を見たものだ。一回目の調査では、「軌道はここで左に曲がり、川を直角に渡っていた(橋をなるべく短くするため)。渡ったらすぐに斜面を登っていた」と考えていたが、実際は斜めに川を横切っていたようだ。河原に橋台などの痕跡がなかったのは、陸橋になっていたのかもしれない。
対岸から見たところ。河原には飛び石が多い。岩に橋脚の痕跡がないか探したが、自分の探した範囲では見つからなかった。
進行方向。ここからいよいよインクラインとなる。早速溝状の地形が現れている。その手前、当時は特に意識していなかったが、写真で見ると橋台状に見える。ここまで橋が架かっていたのだろうか。
溝っぽい地形は20mほど続いている。その先は小さな谷川が流れている。
そして、ここから本格的な上りとなる。石積みがみえるが、橋台かは不明。
登っていくと溝状の地形が見て取れる。途中にはレールも引っかかっていた。
真ん中を過ぎたあたりから一段と勾配が急になる。小川線を彷彿とさせる。ただ、あちらと比べて土質が良いようで、地面はしっかりと自分の体重を支えてくれている。重さに負けてずり下がっていくようなことはなかった。
2/3くらい登っただろうか。この付近もかなりくっきり平場が残っている。横から見るとこんな塩梅。45度には届いてないようだ。体感では頂上側1/3が最も急勾配な区間だった。
登り始めて約20分。石積みが見えてきた。ようやく頂上についたようだ。
それからすぐに石積みの上に立ったが、予想外の景色が待っていた。。てっきり、複線幅の平場が奥に続いているか、一帯が広場にでもなっているのかと思ったが、奥行き3〜4メートルほどの細い平場が左右(インクラインに対して直角)に伸びているだけだった。水平に戻って更に90度折れるには圧倒的にスペースが足りない。
陸橋でいくらかチャラにできるかもしれないが、石積みは橋台状になっていない。陸橋が接続されていたわけでもないようだ。一体どうやってインクラインと上部軌道は接続されていたのだろう? インクラインではなく索道だったのではないかとも思ったが、地上に痕跡が残りすぎているのでその線は薄い。斜行リフト的なもので水平を保ったまま上下していたのだろうか? いや、そんな大掛かりなものなら、記録に残ったり有名になっていそうなものだ。
左になにかあるのだろうかと見に行ったが、100mも行かずに断崖で終わっていた。
結局その日の探索では答えを出せなかった(またかよ)。今回の調査のログを、今度は昭和20年代の空中写真に重ねてみた。ちなみに一番上の写真は昭和50年代のもの。廃止後のものだが、これでもインクラインの位置はわかったので十分だと思った。最初から現役時代の写真を参照しておけばもっとスムーズだっただろう。ともかくどういう状況だったか判明した。まず、そもそも真っすぐ歩けていないことが判明した。直前までいい感じで進んでいたのだが、最後だけ水色の線のように右に逸れていたことがGPSのログで判明した。藪を避けて無意識に曲がってしまったようだ。ただ、それはそれで直角よりも更に急角度で曲がっていることになるので、「さっぱり意味わからん」としばらく悩んでいたが、冷静に考えてみるとバカ正直に右折しなくても良いことに気がついた。一旦左に折れて、そこからバックすればいい。早い話がスイッチバックだ。魚梁瀬のどこかにも同様のもの(ただし麓側)があるのを写真で見たことがあるが、ここもそうだったとは気が付かなかった。 てな事があって3回目の調査を行うことになった。この囲みの写真はその時のもの。2021年4月のことである。前回の石垣より左に合流点と思しき地形を認めた。 斜面を見下ろすと、前方にスズタケの群生が見える。あれが逸れた原因だ。 こちらは反対方向。足元だけでなく、頭上(丸印)にも発見があった。 大きな凹みがある。前回も「変な窪みがあるな」と思っていたが、自然のものかと思っていた。しかし、インクラインの真正面に位置していたとなると、人為的なものを感じざるを得ない。 よじ登ってみると、窪みの中は平坦になっていた。 しかも、壁には丸い何かで抉ったような跡もある。やっぱり人工地形だ。真っ先に思いつくのは巻き上げ機の据え付け跡だが、アンカーボルトの類が見当たらないのが気になるところ。巻き上げ機にはd単位の荷重が掛かるはずだ。岩にガッチリ固定するため太い鉄芯を打ち込んでいたはずだが、見える範囲にはない。地面には枯れ葉や土が積もっているので、それを払えば出てくるのだろうか。 上から見下ろしたところ。インクラインのスロープの真正面にいることがわかる。ワイヤーを張るにはうってつけの場所だ。 |
時間を2020年に戻す。時間に限りがあるので、その時はインクラインの謎は置いて先へ進んだ。インクライン跡の外れには忘れ形見のレールが残っていた。
インクライン跡を離れ小さな切通
を抜けると、林鉄跡としては珍しく見通しの良い直線が現れた。奥にも切り通しが見える。
切り通しを抜けると藪化していた。2回目は10月なだけあってか植物も元気だ。
しかしそこを抜けると景色が変わった。整然と木が並んでいる。人の手で植えられたものだ。ここは昔からの造林地らしく、昭和50年代の空中写真
や2004年の空中写真
を見ると、付近の軌道跡がくっきり見える。伐採直後か苗木が若くて軌道跡が浮き出ているようだ。何なら、Google Earthの近年の画像でも軌道跡を確認できる。
しかし、近年は枝打ちも禄にされてないようで、下草の殆どない地面は不自然なほどに歩きやすい。放置林と化して久しいようだ。
やがて前方にブルーシートで覆われた小屋が現れた。比較的近年のファンタのボトル
や賞味期限が20007年のふりかけ
の袋が落ちている。造林小屋の成れの果てならば、その頃から放置されているのかもしれない。
小屋は軌道跡を分断しているように見えたが、軌道は直前で川を渡っていたようだ。起点側の橋台は一部が辛うじて残っている。奥に見える一反木綿は小屋の壁。
終点側は崩れて残っていない。しかもひどい藪。
この付近でもレール
を見つけた。長年流れに洗われ続けたらしく、すっかり角が取れている
川を渡った軌道はほぼ180度転換。支流の方へ少し入り込んでいたようだ。
また切り通しを抜ける。
するとその先、倒木が道を塞いでいる。その奥の方も小崩壊を起こしていて、この付近の軌道跡は原型が失われてきている。
倒木は最近のことのようだが、崩落はかなり前のことらしい。誰かが丸太を渡していたようだ。
その先。路肩がやや痩せてきているが、通行に支障はない。
それからまもなく不思議な光景を見た。巨岩が行く手を塞いでいる。
岩は真正面に鎮座しており、軌道はその岩壁に突入しているかのようだった。まるで別の場所から岩を持ってきて置いたかのよう。
もちろんこんなものが動くはずがない。これは目の錯覚だ。本当は右旋回して岩壁の縁っこにある平場に接続していた。岩壁が手前から見えていたので、そっちに気を取られて錯覚してしまったっぽい。しかし錯覚とはいえ、一時は本気で軌道が岩の中に消えているように思った。岩の手前は涸れ川になっており、軌道は橋台を残している。しかし、崩壊が進んでいる。
終点側には橋台を置かず、岩棚に橋桁を置いていたようだ。ここを登るのは無理そうだが、下から奥へ進める。
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