一の谷林用軌道岩茸線その3



画像
 正午を過ぎた。川を渡ったのが10時50分頃だったので。ここまで1時間少々。


画像

 大きな切り通しがあった。瀬戸川沿いに比べるとやはり変化に富んでいる。


画像

 小さい切り通しも。


画像

 その後しばらく変哲のない所が続く。


画像

 大きな崩落地があった。岩茸線で最大級の崩壊だった。だいぶ古いもののようで、既に新しい踏み跡が付いていた。


画像
 そこを越えるとまた小さな掘割があった。その先にもなにか人工物が見える。


画像

 城跡かな? 入城門かな? 遠目には石塀のように見えたが、近づくと先端が橋台状になっているのに気付いた。こんな所に立体交差が必要なシーンとは? アレがここにもあったんだなとピンときた。


画像

 ループ線跡である。森林鉄道跡でループ線を見つけるのは伊尾木林用軌道小川線以来4年ぶり(だったかな?)、県内二例目の発見だ。しかも、小川線のは川の両岸を使った一見するとループとは気付きにくい線形だったが、ここのループは川の左岸側だけで完結しており、立体交差部分意外には路体に切れ目がない完全なループ線だ。これには「いいもんを見つけた」としばらくテンションが上がりっぱなしだった。ご覧のとおり、内側はちょっとした土地がある。建物でも建てられそうな感じだが、基礎は残っていなかったし、酒瓶や欠けた茶碗など生活臭のするものもなかったので、事業所等は置かれていなかったと推測する。下の空中写真にも建物があるような雰囲気はない。一時的な材木置場にしていたのが精々か。


画像

 大っきな遺構なので、現役時代の空中写真(1948年米軍撮影)でもその跡がはっきり見える。残念ながら右下にあるはずのつづら折れは不鮮明でよくわからない。他の写真も見比べたが、どれもも不鮮明だった。あと、写ってしまっているので言うと、インクラインもこの後すぐに控えている。空中写真を見たのは帰宅後なので、探索当時はまだ先だと思っていたけどね。


画像

 入城門もとい、立体交差の橋台。これは左側(川手)のもの。軌道を跨ぐために作られた築堤(人工的な土地)の先にある。目地はコンクリートで固められているらしく、一欠片たりとも崩れていない。ただしかなり隙間が開いてきているようなので、地震など切っ掛け一つで崩れる可能性はある。


画像

 右側(山手)の橋台。こちらは自然の岩肌を利用し、足りないところを石積みで補っている。やはりコンクリートで接着されており、今の所損傷は見られない。


画像

 "入城門"の中から外を見る。立体交差の手前は崩落していた。これは水の作用のせいだ。写真のとおり、地面が白くなっている。水が流れている証拠だ。どこか、本来流れるはずの場所が塞がり、こちら側に溢れだしているのだろう。1年2年では状況は変わらなだろうが、10年後や20年後にはここのヘアピン跡は失われているかもしれない。


画像

 軌道跡をトレースしながら進んでみる。水の跡は少し先の山から伸びていた。上の段の軌道も少しダメージを受けている。


画像

 奥のヘアピンの手前、上の段の軌道跡と近接していて、石積みが間に残る。


画像

 上の場所を奥側から見る。


画像

 同じところからループの奥側を見たところ。こちら側にも石積みが残っており、いくらかの平場があったようだ。石積みが直角に配置されていることから分かるように、軌道のものではない。そこに奇妙なものがあった。橋脚のようだが、華奢なので重量物は支えられなさそうだ。


画像

 人道用の橋でもあったのかと思ったが、対岸にはなにもない。渡らずの橋かな? それとも平場に建物があって、川に突き出して便所でもあったのかな?


画像

 ループ線側を見る。弧を描いているのが軌道のヘアピン。半周した軌道は川手の方へ行き土手を駆け上る。


画像

 築堤の内側はほんの1mくらいの段差だが、右側は結構な高低差がある。元々は緩やかな斜面だったのだろうが、かなり嵩上げされているようだ。


画像

 そして立体交差を跨ぐ。


画像

 向こう側は切り通しになっている。一本橋があるが、朽ちていて渡るのは無理。


画像

 なので、一旦降りて向こう側へ行く。折角なので、その前に築堤の下へ行ってみることにした。下から見るとその高さがより際立っている。土の斜面ではなく、全部石積みである。頑張って積んだんだろうなあ。左の奥の方、穴が空いているようだ。


画像

 水抜き用の暗渠だったようだ。これが詰まってしまったので溢れて"入城門"の方へ流れ出したようだ。隧道猫でもいるかなと思ったが、あいにく(幸い?)無人。


画像

 同じところから入城門を見上げる。


画像

 軌道跡に復帰。


画像

 溝状の切り通しで90度方向転換。


画像

 立体交差跡を振り返って。廃止後大量に植樹していったらしく、少し離れると写真の構図を選べない。


画像

 どうにかして全体像を写したいと斜面に取り付いたが、結局木々に邪魔され叶わなかった。(撮影:2021年4月)

 それにしても、ここは何故ループ線を採用したのだろうか。伊尾木林道小川線の場合、谷底の平地の殆どないような所を走っていたため、ヘアピンを作るのが難しかった。それで、川を二回渡ってループ構造にしたのは合理的だと言える。しかしここは、ご覧の通り土地に余裕がある。あえてループを採用する理由が見つからない。作ってみたい気分だったのだろうか。それはともかく、先程のつづらといいループといい、できるだけ勾配がキツくならないように努力しているようだ。少なくとも、一の谷線のつづらと比べると大幅に勾配がゆるい。きっと、動力車の使用を想定していたはずだ。


画像

 上段を進む。手前の部分の路面が荒れているのは水の跡。本来暗渠から出ていくはずだが、詰まって城門の方に流れている。というのは先程話した通り。何故か何本かのレール画像が水に洗われていた。土留め代わりに使っていたのだろうか。


画像

 ループの末端部分。右側の四角い平場は謎橋脚を見つけたところ。


画像

 ループ跡を後にし、奥へ進む。ループを過ぎた所にも涸れ川。ここにもレール画像が露出している。


画像

 営林署のピンクテープが残る軌道跡。路肩が崩壊しているが、残っている石積みから推測すると、この区間は結構幅が広かったようだ。広がっている理由は空中写真の書き込みのとおりで、インクラインがあったからだ。貨車の入れ替えのために複線にしていたのだろう。


画像

 その後すぐ、河にぶつかる。インクラインがあったのは右岸側。当然橋が掛かっていたはずだが、残っているわけもなく。橋のあった場所にはワイヤー画像が垂れている。昔はここにも造林作業用の吊り橋があったようだ。


画像

 飛び石が多く、川を渡るのは容易だった。左岸側を見ると、見事な石積みが残っている。


画像

 右岸側。困ったことに、こちら側には橋台が見られない。過去に見てきたインクライン跡は、どこもそれとわかる地形が残っていた。だから、行けばすぐに痕跡がわかるだろうと思っていた。要は高をくくっていたわけだな。


画像

 だが、右岸側は比較的起伏が穏やかでなだらかだったので、どこもそこも怪しく見えた。


画像

 ここも怪しい。


画像

 ここなんか最高に怪しいが、いずれもハズレであった。


画像

 代わりに炭焼きの跡を発見。うん、どうでもいい。


画像

 あたりを彷徨っていると、河原にレールが埋まっているのを見つけた。上流に軌道が伸びているのは間違いないようだ。


画像

 川を遡っていけば軌道跡を見つけられるんじゃないかと思った自分は谷底を歩くことにした。今にして思えば、バカバカしい考えだったかなと思うが、ウェーダーもあるし、なんだか行けそうな気がしていた。


画像

 しかし、上流部の谷は予想以上に深く、流石に無茶だったと悟った。その後にわか雨に見舞われたこともあり、慌てて山を降りることになった。結局、この日はインクライン跡と上部軌道の発見には至らなかった。




前ページ ここは3ページ目 次ページ


廃線メニューに戻る  サイトトップに戻る