
第二インクライン跡はシダの海に没しており、その痕跡は全く見えなくなっていた。ここまで快調に軌道跡を辿ってきたが、ここに着て初めて軌道の痕跡が分からないという事態になった。「現地に行けば痕跡が見つかるだろう」くらいに気軽に考えていたが、地面が全く見えないのでは話にならなかった。一応冬の寒い時期に探訪したんだけれど、シダって寒さに強いんだなあ。

さすがにメンドクセェと思い、そのまま頂上側に行ってしまおうと思った。それで尾根を登っていこうとしたのだが、そしたら、斜面を横切る一本の林道に出た。これは軌道跡ではなく、後年出来た作業道だ。方向的にインクライン跡と交差しているようだった。

そこでスマホを確認してみた。宇和島市街に近いだけあってか、アンテナが立っていた。そこでアプリを使い、現在地を確認しながら、インクライン跡を探してみることにした。そして、現在地表示と"あやすぃ"ラインが重なった瞬間が左である。

どうやらここがインクライン跡らしい。空中写真の歪みやGPSのズレなど、多少誤差はあるかもしれないが、そんなにべらぼうにズレてもいるまい。多少ズレがあったとしても、一面シダの海なのでどこを撮っても大差ない。やはり、見える範囲に痕跡は見当たらない。

上側。こっちはなんとなく溝になっているような気もする。しかしこの藪に突入して確認する気にはなれなかった。

そのまま「どこかに上に上がるルートはないか」と探しつつ、そのまま作業道を進んで、南にある谷に出た。長谷ではなく、その北側の浅谷である。ここは藪化しておらず、楽に登ることが出来る。それで、多少なりとも軌道(インクライン)跡に近づけかと登ってみた。

そしたら幸い、細い道が谷を横切っているのに気づいた。方角もちょうどインクラインの方に向かっている。この道を進んだ。

そしてたどり着いた、第二インクライン頂上側終点。残念なことに、ここもシダの海と雑木に没していた。

頂上側から見る第二インクライン跡。やっぱりシダしか見えない。

しかし、赤色立体図を見ると、うっすら溝っぽいのが見える。シダさえなくなれば痕跡は確認できそうだ。と言っても、探索は十二月末のこと。冬場でこれなのでは、機械を持ってきて刈払いでもしなければ無理だろうが。

第二インクラインを登った後は、尾根の東の谷(長谷)沿いに入ってゆく。恥ずかしながら、探索当時この軌道跡には気付いていなかった。インクラインを登ると即座に索道に接続していると思っていたので、平場が続いていること事体は気づいたが、それが軌道跡だとは思わず、ただの作業道だと思っていた。それで、この部分は2年後くらいに再度調べに来た。写真の色合いが妙に違うのはこのせい。

第二インクラインと索道の間の軌道跡。

石積も残っている。

やがて林道と合流する。下のスーパー林道に分岐なんてあったっけ? と思ったら、上から降りてきた道らしい。

時期が温かいシーズンだったので、外からは痕跡は見えなかった。

すこし、林道を歩く。

歩(ry

やがて、明らかに自然ではない広場で行き止まりとなる。

谷側に石積み。

山手の石積み。削ったのか自然のものなのかは分からないが、自然の岩壁も利用している。ここが索道の発着場なのか、見た目では正直分からない。しかし、他に終点を置けそうな平地も無さそうだ。林友の記事によれば、索道の延長は863mで傾斜角は27度だったそうだ。三平方の定理により、水平距離は769mになる。地理院地図の計測機能でら、さほど矛盾のない結果になった。なのでここの可能性が高いんじゃないかと思う。このあと軌道は、索道を経由し現在地より400メートルほど高い、標高880m(地形図から判断)へと向かっている。この間は遺構はないハズなので、自分も頂上側へ移動する。
八幡山線跡

しかしその前に、八幡山線跡を調べていく。冒頭の説明通り、八幡山線跡はスーパー林道の用地に転用されている。梅ヶ成峠へは、どうせスーパー林道を通っていくわけだし、ついでに調べていくのが効率的である。と言っても、車道化されているので、残っているものも少なそうだが。

出発して程なく橋を渡る。八幡橋という。ちなみに”はちまん”かと思ったら、読みが正解だった。そして、この下を流れるのが長谷である。

山手の方に平場が続いている。

その先に橋台が残っている。半壊している。

終点側は完全に崩壊していて、後ろの石積だけが残っている。

橋の直ぐ袂で車道に戻る。

その後は目につく遺構は特になく、終点付近まで車を走らせた。そこは何の変哲もない道路だった。

スーパー林道の下も見てみた。一本の作業林道が走っていた。猛烈な勢いで斜面を下っているようだったので、軌道とは無関係と判断した。道路の勾配が結構急だったので、車道より高いところに軌道が行くことはないだろう。終点付近には軌道の痕跡は残っていないみてよいだろう。

と、探索当時は思っていたが、レポートを書き始めてから、当時は知らなかった立体図を改めて調べてみたら、八幡橋を渡って割と直ぐに、一本の枝道が分かれているのに気づいた。勾配的にも、「こっちが軌道跡だったのでは?」と思える。これについては追加調査の必要ありと認むるため、可及的速やかに再訪したいと思う。
索道と第三インクラインの接点は、スーパー林道の少し下にあったようである。この間は極短い軌道しかなく、完全に積替えのためのスペースだったようだ。このカーブの外側の、少し山が残っている部分の裏側から下へ降りた。写真を撮り忘れていたようなので、ストリートビューで茶を濁す。

尾根を下っていくと、窪みがあって、そこにこんな物があった。

組まれた木の残骸である。場所は、まさに索道の終点が期待される位置で、索道の遺構なのではという考えが真っ先に浮かんだ。これを見つけた時は、驚きと喜びと疑いが混じった複雑な気持ちを抱いた。最低でも、昭和十(1935)年の廃止からほぼ90年経っている。開設当時のものであれば、それこそ100年超えである。木造構造物がそんなに長期間残るのだろうか。そもそも、これは本当に索道の遺構なのだろうか。ほぞで組まれ、釘やボルトが使用された様子がないので、そこそこ古いものではあるようだが、ただの山小屋だったり、炭小屋の跡だったりしないだろうか。正直、この僅かな残骸だけでは、判断ができない。ただ、山小屋や炭小屋をこんなところに作らなければならない理由も見つからない。

立体図が示す通り、場所自体は索道終点であるのは間違いないはずだ。索道と重なるように窪みがあるのは、丸太を引きずらないように掘り下げた跡と思われる。インクライン跡はスーパー林道が横切ったため痕跡がだいぶ失われているが、稜線近くに溝地形が見られる。尾根を巻くように"く"の字に伸びる線は、索道とインクラインをつなぐ水平部分だろう。インクラインの反対側にも平地が伸びているのは、滞留したトロを待機させる線があったのかもしれない。
ここは標高が900m目前で、集落からだいぶ離れている。脳作業小屋の類ではないと思う。あるとすれば炭焼小屋か造林作業小屋とかだろうか。しかしここは、あとほんのもう少し山を登れば稜線の上に出る、というような場所である。ソッチの方がもっとなだらかで広いし、色々楽なはずである。敢えてココに置かければならなかった理由があったと考えると、索道の残骸のほうが可能性が高いのかもしれない。

また加工痕を見るに、この構造物はだいぶ幅が狭いようだ。京大のデジタルアーカイブシステムにあった「宇和島 滑床山 手動制御装置」に写っている制動機も幅が狭く雰囲気が似ているように思える。「放置された材木が100年近く残るのか?」という疑問もあるが、ここは尾根の上で、水捌けと風通しがだいぶ良く、乾いた環境であること。立木によって日陰になり、紫外線がいくらか軽減されること。標高が高く低温環境になりやすいなど、腐敗が進みにくくなりそうな環境が揃っている。当然、材木自体にも、表面を焼くなりクレオソートをたっぷり染み込ませるなど、防腐対策が施してあるはずである。営林署なら、枕木用の注薬缶が使えたかもしれない。それに、残っていると言っても、ほんの一部がかろうじて残っているだけである、幸運が重なれば、地面から遠い部分が一部だけ残る事もあったりするのかもしれない。

麓側を見た所。一段下を横切る平場は索道と第三インクラインを繋いでいた平坦部分の跡である。樹木が邪魔で、索道の起点や下部の軌道は見えなかった。と言うか、行き当たりばったり的にたどり着いた上に、気になる木の構造物に心を奪われ、周囲はろくすっぽ見ていない。この付近も再訪してもいいかなと考えている。

第三インクライン側を見た様子。京大デジタルアーカイブシステムの「宇和島 滑床山 上部運材斜面軌道」はこの場所で撮ったものではないかと思う。

反対側。空が広く明るい。だいぶ標高が高いことがわかると思う。宇和島市街の端から標高900m近くまで、猛烈な勢いで登ってきたことが感じられるかと思う。

上記の通り、第三インクライン跡をスーパー林道が貫いている。この付近は目につく痕跡はない。

斜面の上には、スーパー林道に並行して作業道が走っている。そこまで登ると、インクラインの溝地形が見られる。

下方を見る。スーパー林道のガードワイヤが辛うじて見えている。スーパー林道と作業林道の間は痕跡はなさそうだ。

そこからインクラインの上端は目と鼻の距離である。上ると、ちょっとばかりの平地がありり、梅ヶ成峠へ向かう軌道が奥に続いている。この付近には、かつて六角形の東屋が合ったので、六角堂という地名で呼ばれているそうだ。赤色立体図を見ると、軌道跡の上にもう一本並行して道が映っているので、恐らくそっちの沿道にあったのだろう。

碍子が落ちていた。当時の電話線の跡かな。

奥側からインクライン終点を見た所。

頂上側からインクラインを見下ろしたところ。ハッキリと溝になっている。
A地点からここまでの標高差はおよそ450mにも及ぶ。その間を二本のインクラインと一本の索道で一気に駆け上がってきたわけである。・・・・・どうして一本の索道、もしくは一本のインクラインと索道にしなかったのカナー。地形の制約? ワイヤー強度の限界? 知らんけど、滑床林道を面白くて魅力的なものにしているのは確かだろう。