側線が一本消えたとかそういうレベルの集まり。
余った時間に同区間の内の廃トンネル一ヶ所を見てきたものです。
とりあえず深追いしなければあまり危険はないでしょう。
平野部にあり、道路と平行しているので初心者でも気軽に歩けます。
でっかい廃橋に興奮!?
藪あり倒木ありと少しハードです。
廃隧道1本廃橋1本ミニミニ崩壊あり。
大部分で路盤が転用されており、暇があれば探索できます。
自転車道に転用されている部分が多いのでチャリでの移動に適しています。
隧道はみんな閉鎖されている。道路に平行してるので自転車で移動もいいかも。
土讃線開業当時に敷設された砂利線の模様。あまり詳しいことはわからない。
数年前より駐車場になっている。伊野車庫である。
廃線に入れるのはどうかと思ったがここで紹介する。
土讃線のルート変更第一号となった区間である。No.1の国政隧道のある区間である。ハードだが全体的に単調な物件である。中には廃隧道を酒蔵にしているところもあるが。レポートも単調気味だが暇ならばお付き合いいただきたい。
高知市と伊野町の境にある峠、咥内坂。50年程前には小さなトンネルがあった。
久礼の山中に残るスイッチバック構造の信号所跡。意外と知られていない?
激しい土砂崩れにより鉄橋が押し流され、危険な斜面の路盤は放棄された。再訪
険しい地形に阻まれた半世紀前の地方幹線。踏破よりアプローチが難しい。
短いながらも非常に良い雰囲気を残す引込み線跡
半世紀以上前に存在した知られざる鉱山鉄道。堂々と遺構が存在する割に知られるようになったのは最近のこと。
吉野川の支流のひとつに沿って敷かれていた森林軌道。情報が少ない替わりにたくさんの遺構にめぐり合える。
魚梁瀬森林鉄道の陰に隠れてあまり目立たなくなっているフシがあるが、俗化していない分凄まじいものがある。遺構の残存度が比較的高いのが特徴。
程よい遺構に程よい長さ。程よく歩きやすい。
県内を代表する景勝地の過去を探る旅。
例えるなら、チューブ入り食品のチューブの角に最後に残ったやつを絞りだすみたいな感じ(意味不
短いからと舐めてかかると後悔するだろう。幻想的な光景に、初めての体験。どれも刺激的だった(棒)
長年、この路線の詳細はベールに包まれていた。極めて悪い交通の便に、15.2キロという延長の長さ。限定的な調査はすれども、完全制覇を成し遂げるものは今までいなかった。しかし今、化けの皮が剥がされる時が来た。そこはむしろ、数々のお宝が眠る夢の様な場所だったのである。
西の川沿いに残る謎多い路線の跡。活躍していたのは戦前の短い間だったようだ。。
くねくねくねくねくねくねくねくね・・・・、どんだけ曲がっとるねんっ! 伊尾木の路線群でも屈指のヘアピン連続地帯に挑む。しかし、案外平凡だったな・・・・。
短い路線だが見つけるのには少し苦労した。「そこかよ!」。しかも、多くの人がそれとは知らずにその跡を見ている。そんな場所だった。
「祝!愛媛県初上陸」である。行くだけなら別子などに行ったことがあるが、レポ化するのはこれが初である。というわけで、西条市に残る廃線跡である。
「退屈」歩いていて初めてこんな感想を抱いた。実際に見どころの少ない路線だったと思う。しかし、何も残っていないというわけでもない。
本山町のマイナー路線
20キロ超の嶺北最大規模の路線。標高差700mを登る山岳路線でもある。景勝地の瀬戸川渓谷を貫いており、その景色は変化に富んでいる。調査は比較的困難な方だと感じた。とは言え見つけられたものも多く、なかなか探索し甲斐があった。ちなみに最大の敵はスズタケ。
一の谷林道の支線である。探索前、ある意味本線格の一の谷線以上に見どころがありそうと思ったが、そうなった。伊尾木以来2例目のあるものも見つけた。
一の谷林道の支線その2。踏破よりもそこにたどり着くほうが大変な所再び。
久しぶり(10年くらい)に土讃線旧線。土讃線最大最凶の旧線跡に挑む。
JR四国の車両の全般検査を一手に担う多度津工場。昔は更に奥に続きがあった。
1世紀前に切り替えられた、四国最古級の廃線跡。何も残ってないことを確認する作業になると思ったが、意外なものが残っていた。
石鎚山の麓に森林鉄道があったことはあまり知られていない。短い割になかなか濃く、標高差が大きいのでミニ登山の気分。
同区間は2009年に探索したが、やり残していたことがあったのを思い出したので、消化するついでに15年ぶりに再訪することにした。
日本にここしかなかったという珍しい乗り物の跡。
(恐らく)高知県最東端の国有林軌道の跡。
↑の支線跡。短い。
南予地方を代表する景勝地は、かつては木材の一大産地で、軌道による搬出が行われていた。全長はさほど長くないが、標高100メートル未満の宇和島の市街から、950メートル超の峠へ一気に登り、300メートル下の谷間に再び降りていく、壮絶な峠越えの路線であった。軌道、インクライン、索道を次々に乗り換えて行く様は、搬出設備の見本市と称され、近代設備で武装した、四国でも屈指の千変万化たる路線であった。