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まさに想像通りの光景である。そしてその役割も検討がついた。 |
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振り返って。路盤に生えた太い木が廃止後流れた時間を示している。 |
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行く手を阻むようにいくつかの構造物が作られている。一応乗り越えられるように足場がつけられているがさびて細ったそれに体重を掛けるには細すぎる。 |
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1956-12 開通後4ヶ月たって作られたようだ。 |
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構造物の陰になる部分には碍子やら空き缶を捨ててある。多少懐かしいものもある。 |
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電話ボックスの中を開くと食器棚になっていた。そういえばやかんも転がっていた。保線の合間にティータイムでもすごしていたのだろうか。 |
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トンネルを出るとすぐに現役線に出る。 |
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とても近いところに新旧の坑口が並んでいる。旧トンネル内の構造物は新トンネルの補強のためのものだろう。 |
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旧トンネルの名前を引き継いでいると思われたが、旧トンネルの名称は島の本トンネルと言ったらしい。土讃線の現役トンネルリストを入手したが、その中に島の本トンネルの記載があるのを見つけた。再度検証してみると、島の本トンネルは一個手前(2つ上の写真)のトンネルで、新線の線形に合わせて拡幅工事を受けているようだ。それを自分が旧トンネルの記述と勘違いしてしまったようだ。というわけで旧トンネルの名称は不明。案外(旧)荒神山かもしれない。 |