石原満俺軌道2

 県道は高速の下をくぐり、そのまま峠を越えて土佐山田の町街まで降りるが、軌道はそのまま川沿いに進んでいた。
 ここには橋が架かっていたはずだが橋脚はない。
 黒滝側の橋台は残っているので架かっていた位置はある程度特定できる。
 繁藤側の橋台は探索をした時点では確認できなかった。
 帰宅後、画像を確認すると石垣に混じってコンクリートが使われている部分があることがわかった。これが橋台ではないかと思う。これも近々再訪して見たい。
 橋台の上から黒滝側を見る。こちらもまた車道に転用されている。
 山側に残る石垣は軌道時代からのものだろうか?
 車道には小さな橋が架かっている。
 橋台は石積みで軌道時代のものであると思われる。
 材料には一部細いレールが残っており、マンガン軌道のものと見ていいだろう。橋を作るためにわざわざレールを選んでよそから持ってきたとも考えにくいし。それよりも向こう側の光が見えている。どういうわけか二階建てになっている。下の段が軌道を敷いていた桁なら貴重な遺構なのだが。同じような橋がこの付近に連続してある。
 国道32号線の繁藤橋が近づいてくると軌道の築堤が復活する。左へカーブする車道に対しまっすぐ伸びる築堤。
 築堤の長さは十数メートルほど。築堤の先は橋になっていて、無論本体はないが、橋台は残っている。地形的な制約(背後は川)でこれでもぎりぎりまで下がって撮ったほうである。
 黒滝側を見る。対岸の橋脚が残っているかはわからない。正直確認を忘れていたためなのだが、この位置からだと国道に飲み込まれているように見える。これもまた再訪(略
 国道より繁藤側を見る。橋台は丸で囲んだところにある。また築堤の上には杉が植わっており、ちょうどその杉の木が築堤の形をしていて面白い。
 国道の反対側。川沿いに軌道は続く。
 川原に残る橋脚は旧国道の遺構。軌道は橋脚と橋台の間を通っていた。
 この川原はかつては貯木場だった。軌道は鉱石だけではなく木材も輸送していたのである。そもそも開設当時の軌道の終点はこの広場で、ここでトラックに積み替えて高知市まで輸送していたのである。後により効率のよい国鉄で輸送するために繁藤駅まで軌道を延伸したのである。
 貯木場を過ぎると再び道路に吸収されてしまう。
 しかし1キロほど走ると再び軌道跡が復活する。草ヒロが目印になる。
 最初の数百メートルは農作業の軽トラが入るぐらいの広さがある。
 それが終わると森の中へ突っ込む。この先およそ1.5キロは並行する車道がない。

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