一の谷林用軌道一の谷線その7(終)



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 残り1キロを切り、いよいよゴールが近づいてきた感がある。軌道は稲村ダムの直下まで続いているはずだ。ひょっとしたら、山間に堰堤が見えたりするんじゃないかと思っていたが、まだ山陰に隠れているようで、ここからは見えなかった。


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 進んでいくと、川の上に人工物が見えてきた。これは稲村ダムではない。小さいし近すぎる。地形図には堰堤の記号がある。砂防ダムかなんかだろう。


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 うっ・・・なんか嫌なデザイン。水抜き用の穴がびっちり空いている。写真だとわかりにくいが、横に6個が3段重ねで18個の穴がこちらを向いている。かなり不気味に感じる。蓮○ラとか平気なんだけどな・・・。でかいと無機質が反応を起こしたのかな。なるべく見んようにしとこ。


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 見た目が不気味なだけで噛み付いてくることはないので、気にしなければどうという事はない。それよりも現実的な問題として、勾配と残りの距離から勘定すると、軌道跡は堰堤で分断されていることがほぼ確実だ。先へ行く方法があるか、それが心配だ。


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 堰堤の前に吊り橋があった。何十年も管理されてない雰囲気だ。川には飛び石が多いので、なくても対岸には渡れそうだ。橋があるということは、対岸にはきっとこれに通じる山道があるはず。イザという時はココからエスケープできるかもしれないと思った。幸い、イザということがなかったので、山道が通れる状態かは不明。吊橋からは堰堤が目の前。通る人や作っている人は不気味に感じなかったのかな? 


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 幸いにも、堰堤の手前に斜面を登る踏み跡が残っていた。山仕事の人たちが、吊橋を渡ってこの踏み跡を登って仕事場へ移動していたのだろう。ここから登れそうだ。


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 その前に切断地点を確認する。特別なにか遺構があるというわけではないが、すぐ堰堤に触れるところまで平場が残っている。


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 堰堤の上(の横)にいる。反対側に行けないようになっていたらイヤだなと思ったが、杞憂だった。


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 堰堤の上にも行けた。見晴らしが良く、尻も汚さずに済むので、ここで座って遅めの昼食を摂った。探索は何日に分けて行っている。この日は林道と分かれるところからスタートした。


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 北の斜面を見ると、へばり付くようにガードレールが2本走っている。上の方(見えにくい)にあるのが辿ってきた林道の続きだ。下の方はその途中から分岐する林道の支線だ。あれに抜けられることを期待している。


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 下流方向の眺め。吊橋は真ん中あたりに小さく写っている。


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 上流側。稲村ダムは左の奥の方。この位置からでもまだ見えない。


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 このように、軌道跡は堰堤で分断されている。


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 起点側は、堰堤の直下まで跡が残っている。


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 終点側は不明瞭。


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 前進を再開する。堰堤の真下では不明瞭だった軌道跡だが、少し離れてみると平場が復活した。


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 まもなく橋の跡があった。起点側画像は無事だが、終点側(左)は大きく損壊していた。橋台の中画像は土かと思ったら、石を詰め込んであった。


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 橋を渡った先。この付近から終点近くまでは、比較的に地形が緩やかだった。沿線には平場も広がっていて、集落でもあったのかと思わせるほどだった。ただ、あっても造林小屋程度だと思うが。


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 やがて藪が濃くなってくる。左側一段上、探索当時はあまり気にしなかったが、何か道に見える。次のヘアピンが迫っているはずなので、ショートカットできる道だろうか。


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 この区間の藪はかなり濃かった。15分ほど格闘して、気がつけば頭上に石積みが迫っていた。最後のヘアピンが近いようだ。なお探索中は全く気づかなかったのだが、この辺りに古い造林作業道があって、瀬戸川を渡る橋も残っているようだ。仮に知っていても、堰堤まで通り抜けてしまったので、使うことはなかったと思うが。


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 ヘアピンの手前、石積みと暗渠が残る。怖いことに、路面に穴画像が開いてる。油断禁物だ。


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 藪が濃いので、ここではルートを外れて歩いている。左の石積みが本来の軌道跡。


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 そして最後のつづらに到着。


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 11ヘアピン跡。ここは見通しがきかなかったので俯瞰は無し。


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 ここからは、遂に稲村ダムの姿も捉えた。ゴールはあの堰堤の下である。ゴールは障害物さえなければ目視できるまでの距離に近づいている。


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 石積みで護られた切通を行く。


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 12ヘア跡。最後のヘアピンだ。最後のつづらは規模が小さく、ヘアピンの間は歩いて3分ほどだった。標高も上がって、空が開けてきたためか、GPSのログがきれいにとれた。


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 12ヘア俯瞰。あとはゴールまで距離を縮めるのみ。


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 下の段を見ながら坂を登っていく。


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 11ヘアの横も通り過ぎ、軌道は一旦支流の方へ入っていく。すると、それを跨ぐ橋の跡が残る。


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 橋台は半壊状態。 反対側画像も同様。


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 支流を跨ぐと瀬戸川の方に戻り、岩の切通で方向を変える。


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 切り通しを抜けると稲村ダムの姿が増々ハッキリしてくる。積んである石の一個一個まで分かるほどに。


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 ここまでくれば、ゴールはもう時間の問題だろう。この探索が成功裏に終わることを確信した。


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 やがて、天端ばかりが見えていた稲村ダムも、ついに法面が見えるようになった。前方の杉林を過ぎれば全体像を捉えることができるはずだ。右側、天端の上から飛び出してるのは稲叢山かな?


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 このままゴールまで一直線かと思ったが、最後に伏兵が潜んでいた。路体がごっそり切れ落ちている。左も右も断崖である。突破はできない。だが、ここまで来て撤退は御免こうむる。確か手前に登れそうな斜面があった。高巻きを決行する。


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 高巻き中の写真は取り忘れてしまった。言葉で説明すると、少し戻った所に極めて水量の少ない谷川が注ぎ込んでいた。そこを登っていった。斜面の上の方は密度の濃ゆいスズタケが広がる斜面になった。スズタケを避けて平行移動したが、高さが足りず、断崖の横に出た。仕方がないのでヤブを漕いでさらに上方に登った。左、マップのラインの乱れが戦いを物語っている。尾根筋を超えて反対の斜面にでたが、そこも同様だった。だが、スズタケの密集が、自分の体重を受け止めてくれるほどだったので、スズタケをブレーキ代わりに斜面を直降することを決断。どうにか隣の谷筋に降りられた。瀬戸川へ向けて谷筋を下っていくと、左画像の橋台を発見。軌道跡に復帰できた。残っていたのは起点側だけで、終点側は崩壊画像していた。


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 中断点(F地点)を確認しに戻る。


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 中断点。割と長い距離が失われているようで、反対側から見てもどこまで辿ってきたかわからない。


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 左を見ると小堰堤。稲村ダムの付随だと思うが、ダムマニアではないのでどんな役割があるのかは分からない。


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 中断地点も確認できたし、満を持して終点へ行こう。軌道は杉林に入っていく。整然とした感じに杉木が並んでいる。後ろの方、スパッと切られているように見えるのは光のいたずら。堰堤の影になってない部分が白飛びしている。


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 奥側から見た様子。自分としては、堰堤にぶつかるまで細い道が続いているものと思ったが、存外に平地が広がっていた。終点は水没しているたと思ったが、この広場が終点かもしれない。山で切り出された原材は、作業軌道や索道、木馬などでここまで集められ、トロッコに積み替えられて下流へ次々出荷されていたのだろう。


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 杉林を過ぎて、堰堤の手前にも石を積んであったような痕跡がある。作業軌道などが、さらに奥地を目指していたのだろう。


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 作業軌道は対象外なのと、どのみち堰堤の先へはいけない(水中)ので、一の谷線の探索はこれにて終了である。幸い、堰堤を通って帰れそうだ。鉄製の橋が写っている。麓や一の谷以外の林道でもよく見るタイプだ。営林署が架けたものだろう。普段から往来があるようだ。


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 稲村ダムの堰堤。稲村ダムはロックフィルダムなので、コンクリートの壁がデンと鎮座している一般のダム像とは大きく異なっている。県内では魚梁瀬ダムが有名。見た感じはただの法面にしか見えないが、裏側には何千トンか何万トンもの水がチャプチャプしている。


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 堰堤の上から下流方向を見る。軌道は林の中なのでここからだと見えない。


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 堰堤を渡りきると、燃え尽きたあかりちゃんがお出迎え。いまさら遅いわっ!。いわゆる屋外にある立入禁止の矛盾てやつね。伊尾木でも見たね、こう言うの。


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 そして林道の入口(出口)に到着。砂防ダムの上で「抜けられることを期待」していた道だ。ゲートがあるが、脇が甘いので車両用だろう。


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 林道からは、ちょうど崩壊地点付近の軌道が見えた。ほんの30分ほど前のことだが、懐かしく思い出される。その 思い出の地もやがて谷底に離れた。


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 15分ほど歩くと上の林道に合流できた。分岐点の標柱によると、帰路利用した林道は一の谷82林道というようだ。




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